まえがき
今回の記事タイトルは、もともと「再考・3:インタビューあれこれ」の時に使うつもりでいたものの、
「いや、これだとちょっとキツいかな、逆ギレみたいに思われそうだし」
と公開直前に却下したものです。
でも、あれから2ヶ月経って、その間にもいろいろ考えさせられることがあって、
やっぱり改めて言わせてもらおう、と思ったのでした。
言いたいことを言わずに我慢してばかりいると、おなかが膨れて苦しくなっちゃう、
って、清少納言だったか兼好法師だったか、昔の人も言ってましたからね。
健康第一!
というわけで、今回のテーマは「聞き手の粗相は言い手の粗相」です。
気の短い自分のために結論を先に言っちゃうと、
- 水魔女って、肝心なことは説明不足なのに
思わせぶり且つ未だに意味のわからない描写も多くて、混乱するよね。
- そういう作風をあえて狙っていたのか、
作り手の表現力やセンスの問題なのか、今なお私には判断できないなぁ。
- わからないものを理解しようとする時は、
誰でもまずは自分の知識&経験をもとに考えると思うのだけれど、
水魔女の場合、個人差の大きな問題をあれこれ盛り込んでいるので、
視聴者それぞれによって全く異なる物語として受け止められている。
公式から直々に「解釈はご自由に」と明言されているわけだし、
そうでなくとも、個人的には、
「物語が真に完成するのは『読者・視聴者』に受け止められた瞬間」
「同じ作品でも、受け手の数だけ物語がある」
と考えているので、私はいろいろな解釈をお聞きするのが好きです。楽しい。
水魔女は、学園もの・起業(企業)もの・SF・恋愛・戦争・家族etc.
たくさんの要素が絡まり合っていて、
自分が特に注目していた部分や、逆にあんまりわかっていなかったところなど、
別の視点を持つ方々の解説や考察、感想を聞けるのって、興味深いです。
「うんうん、そうだよね!」とか「うーん、そうかぁ……?」とか、
うれしくなったり考えさせられたり、時々ちょっとしょんぼりしたりもするけれど、
「まぁ、解釈は人それぞれだしな!」で全部済むことじゃん?
なので、現状、未だに
「自分の解釈だけが唯一絶対の正解』と信じ込んでいる方々がいて、
「解釈違い」の他者に対して攻撃的だったりするのが不思議でならないよ。
いわゆる明らかな「ヘイト創作」は別として、
他者の二次創作まで批判しているのを目にすることがあるし、
えええー、最近のオタクってそんなふうになっちゃったの? そうなの?
恐ろしい世になってしもうた……ヨボヨボ……(古(いにしえ)のオタク)。
そもそも原作(本編)があんなぐっちゃぐちゃな出来で、
「解釈」に正解もクソもあらすか、って感じよ。
(あっ、クソって言っちゃった!)
「聞き手の粗相は言い手の粗相」
ここからしばらくは、水魔女とはあんまり関係のない補足&蛇足です。私がこの「聞き手の粗相は言い手の粗相」という言葉を知ったのは、
社会人として初めての勤務先でした。
フリーペーパーの制作会社で、当時のデスク(机じゃなくて編集長の意)が、
読者から思わぬクレームが来た時や、社内の伝達事項で食い違いが発生した時などに、
ぶつぶつ呟きながら対応していた姿が今でも思い出されます。
ここで特に解説するまでもない、平易な文章だけれど、
「誰かに勘違いをさせたり、思ったように伝わっていない場合は、
相手を責める前に、まずは自分の伝え方が適切だったか顧みよ」
という、教える側に立ったことがある人間なら、んぐぐ、と刺さるフレーズ。
これ、本来は「言い手」側が自らの行いを振り返る時とか、
自戒のために使われる言葉だと思っています。
「お客様は神様です」を、客自身が使うべきではない、みたいな?
そして、もともとは仏教に由来した教えだとも聞いたことがあります。
まぁ、でも、当時、言いがかりとしか思えないような、
「ええー……」と困惑させられるお声が届くこともありました。
そういう時はこちらも毅然とした態度を取ったりしていましたが、
情報を発信する側としては、表現に気を付けるのは至極当然のことだよね。
情報の取捨選択
「映像研には手を出すな!」にて、「役者が演技をする実写映像と違って、
アニメーションでは全て、人が意図を持って動かしている」
と語られるシーンがありました(ごめんなさい、うろ覚え)。
水魔女では、主人公であるスレッタとその愛機であるエアリアルの、
正体というかその出自が大きな謎でもあったし、
キャラクターのモノローグがない分、
ちょっとした台詞や表情・動作などの映像から、
できるだけ情報を読み取ろうとする視聴者が多かったと思います。
私もその1人で、S1では特にそれを楽しんでいたけれど、
そういうのって、いずれは答え合わせがされるからこそ楽しいものなんだよね。
いろいろと引っ掛かりを残したままで、
逆張りを狙ったのか、視聴者の予想を極力外す方向へと物語を進めて、
キャラクターの心情にも行動にもついていけず、
困惑したままハッピーエンドをゴリ押しされて、
S2はひたすらストレスフルで終わったなぁ。
私があれこれ深読みしすぎただけなのかな。
それとも、度重なる路線変更・脚本変更の結果、
伏線として生かされなかった数々が、今でも忘れられないだけなのかな。
今まで多くのアニメやドラマを見てきたけれど、
途中で何となく引っかかったり、印象に残ったりした描写って、
ラストまでには、それがちゃんと回収されることがほとんどだったんだよね。
それって、つまり、視聴者を正しく誘導できていたんだと思う。
水魔女は、そういうのがうまく機能していなかったなぁ、と改めて思っちゃう。
制作側が「これで意図が伝わるだろう」と想定したラインが一応あったとしても、
複数のシーン&エピソードで、個々人で受け取り方が大きく異なってしまって、
最終的には全く別の物語があちこちで発生してしまった、というのが現状では?
「言い手の粗相」に「聞き手」が振り回されて、誰も彼もが混乱している状態。
そして、もはや仕切り直すことは不可能と判断されたが故の、
「解釈はご自由に」という宣言だったのでは?
全ては憶測ですけれども。
そんなわけで、この作品において、
一視聴者が他の視聴者を「解釈違い」と非難するのは無意味だよ。
どれもみんな、等しく正解で不正解だよ。
というか、前にも書いたけれど、ほんっと、水魔女ってTATだよなぁ。
私は心理検査じゃなくて物語を、エンタメを、楽しみたかったのですが。