水魔女はTATのようなアニメだったと思う

 2023/11/17 Fri

水星の魔女

水星の魔女 「TAT(読みはそのまま「ティー・エー・ティー」)」とは、
「絵を見てお話を作って下さい」という心理検査法の一種です。
正式名称は「Thematic Apperception Test」で、
日本語では「主題統覚検査」などと称されることが多いようです。

個人的には、TAT よりも
インクの染みのような模様を見せられて「何に見えますか?」と聞かれる
「ロールシャッハ・テスト」の方が、
一般的には知名度が高そうだなぁ、と勝手にイメージしていますが、
どうなんでしょうね?
「水魔女って TAT みたいだなぁ」というのは、
最終回直後からぼんやり考えていたことですが、
あれからだいぶ時間が経った今でも
自分を含めて、視聴者の間で混乱が続いているのを見てきて、
その思いを強くしています。

なので、ここらでちょっとメモしておこうかな、
くらいの軽い気持ちで書き始めているのですが、
たぶん、以下は長いわりに中身のない話になりそう……。
ただ単に、「水魔女って解釈の余地がありすぎるアニメだったね」
という話をしているだけなので、そのへんのゆるゆる加減については、
どうかご了承下さいね。

あ! でも、これから心理学(特に臨床系)を勉強しようという方や、
精神鑑定を受ける予定の方(?)には、あんまりおすすめできないかも。
日本のそういう現場でどれくらい活用されているのかは不明だし、
そもそも私の TAT に関する知識はだいぶ古い可能性もありますが、
ネタバレ防止的な意味で、念のため。
(検査結果に影響が出るほどの記事ではないはずだけれども……)

まずは簡単に、TAT のことを紹介しておきますね。
(ちょこちょこググって確認しつつも、記憶を頼りに書いているので、
 万が一、大きな間違いがあったらごめんなさい)
(もしかしたら、いろいろと流派の違いがあるのかもしれない)

検査に使うのは、約20枚の図版です。
図版自体は全部で30種類あって、
被検者(=検査を受ける人)の性別や成人か否かで、基本のセットが異なる感じ。

図版のサイズはA4くらいだったかな?
厚手の紙にモノクロで絵が印刷されていて、それを1枚ずつ提示されて、
そこに描かれた人物や風景について自由に想像して、
検査者(=検査を進める人)に説明していきます。

この記事の冒頭では、この検査を「絵を見てお話を作る」と表現しましたが、
印象や感想を語るだけでもOK、何も思い浮かばなければそれもOK。
その語られた内容をもとに、被検者の内面を知っていこうとする検査法です。
そして、ここからが本題というか、
私が水魔女に TAT っぽさを感じた理由なのですが、
TAT の図版の絵って、どれも情報量が少ないというか、
モノクロでちょっと曖昧で、だまし絵というほどではないけれど、
どうとでも受け止められるものが多いのですよね。

対比として、これとは逆に、テーマが明確かつ適度な情報量の絵の例としては、
ノーマン・ロックウェルの作品なんかがわかりやすいかも。
(→画像検索結果はこちら)
(実際に、TAT を学んでいる時、対極にあるものの例として挙げられていました)
彼が雑誌の表紙として描いた一連の作品は、
同じ文化圏の同時代の人なら、ほぼ同一のストーリーを読み取るだろうな、
と思えるくらい、とても「わかりやすい」です。

TAT は、被検者みんなが似たり寄ったりな反応を返すような絵だと
検査としての意味がないので、
とにかく全体的にぼんやりとしていたなぁ、と記憶しています。
一応、図版ごとにテーマ(被検者の何について知るためのものか)が
設定されているけれど、そういうのも悟られないように配慮されていたはず。

ちなみに、こういった
「曖昧な設問により回答者の心の内面や性質を明らかにしようとする手法」を
「投影法」と言います(「Wikipedia」より引用)。

さて、水魔女の話に戻ります。
この作品は、尺の都合もあってか、
とにかく台詞も描写も徹底的に絞られる傾向にありました。
それでいて何やら意味深で印象的なカットも多く、
放映当時はそれらを「伏線」「暗示」と捉える考察が
ネット上でよく交わされていました。

私もそれらを夢中になって読んだり、自分でもいろいろ予想を立てたりして、
先の展開や結末に思いを馳せて楽しませてもらったのですが、
まぁ、最終的にはあれこれ投げっぱなしのあんなラストだったわけですよ。
それだけなら、ただの「何が言いたいのかよくわからないアニメ」として、
最終回から4ヶ月も過ぎた今頃は、静かに忘れ去られていたと思います。

が、水魔女の場合は、親子関係や格差社会など、
個人差はあれど現実でも身近な問題を物語に組み込んでいて、
なおかつ、作品中ではあまりにも多くの解釈の余地を残したままで終わりました。
これが、最終回放映直後から今なお続く
「視聴者側の混乱・不満」の根本だよなぁ、と……。

同じものを見ていても、人それぞれ違った感想を持つのは
ごく当たり前のことなのですが、
水魔女はデリケートな問題を多く扱っている一方で、
それらにあまり強い関心を持っていない層はスルーできてしまいそうな、
ものすごくギリギリなラインを通っているように思うのですよね。
(狙ってそれをやっているならある意味すごいと思うけれど、
 たぶんただの偶然か、単に取材不足・描写不足なだけな気もする……)
水魔女は直接的にそれらの問題を扱っているので、
TAT のような投影法を比喩に使うのは誤りだとも思うのですが、
多くの方の感想や考察を読ませて頂いたり
自分自身も物語全体の感想や不満点を書き出していくうちに、
こう、内面の奥深くを炙り出されていくような気がしていました。

まぁ、そもそも、絵は何を描いたって自画像だし、
文は何を書いたって履歴書だもんね。
(これは私個人の持論であって、心理学的な通説とかではないですよ、念のため)
(あと、「見たことがないものは描けない、経験していないことは書けない」
 という話でもないですよ)

だから、こういうのは水魔女に限った話ではないものの、
この作品について語ろうとすると、TAT のことを思い出してしまいます。
被検者として図版を見ていた時と、
その後、検査者として自分の生データを分析・解析していた時の、両方を。

TAT について学んでいた当時は、並行して、他の講義などで、
「そもそも人間の脳は、錯覚しやすい」
「自分が信じたいように物事を受け止めがち」
「『朱に交われば赤くなる』という言葉どおり、
 環境に適応しやすいようにできている」
「それらは全て、心を守るための防衛機能と繋がっている」
というのも実験などを通して叩き込まれたのですが、
そういうのも改めてしみじみを思い知らされています。

あ、そうそう、前にも書いたけれど、私は、
「物語の解釈や楽しみ方は、人それぞれ違っていていい」と思っているし、
「自分に都合よく解釈しがち」という人間の基本的な特性も、
特定の誰かを非難するわけでもなく、自戒を込めて、というほどでもなく、
「空は青い、海は広い」くらいのトーンで考えていますけれども。
諦観でも開き直りでもなく「ただの事実」、くらいの重さ・軽さで。
ところで、今、こうして水魔女と TAT の類似性(?)について
書きながら思ったけれど、
もしかしたらこれも、私の心の防衛機能が働いているのかもしれないなぁ。
「既知のもの、自分にとって親しいもの(=TAT)に例えることで、
 未知なるもの(=水魔女最終回)とうまく折り合いをつけようとしている」
という現象が、今まさに起きているんじゃないですか、これ?

「当時は解明できなかった自然現象などを『妖怪の仕業』として、
 名前をつけたり意味を持たせることで恐怖を克服しようとした」
という昔の人たちと、たぶん心理的には一緒なんだろうな、きっと。

やー、だって、ねぇ、
S1の、特に序盤は純粋に楽しめたものの、
S2の、特に終盤から最終回は混乱と緊張と不安がものすごくて、
あの結末はマイナスの意味で衝撃的だったんですよ、ほんとうに。
「えー……????」って、呆然としちゃったもん。
「何だこれ……????」って。

私だっていいかげんあの最終回と決別したいんですよ!
あれを好意的に受け止めている人たちの邪魔をしたくはないんですよ!
自分の感性が絶対的に正しいとも思っていないんですよ!
ただ、もっとエンタメとして、素直に楽しみたかったなぁ、
と思っているだけなんですよ……。
言いたいことはそれだけなんですよ……めそ……。
ごめんなさい、思っていた以上に中身のない記事になってしまいました。
まぁ、でも、私がこの記事をちみちみ書き綴っている間に、
水魔女を心理検査に例えたご意見は他にもお見かけして、
勝手に心強く思っていたりもしました。
ずっと、ずーっと、自己に向き合わされている感じなんだよなぁ……。

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