まえがき
最初に言っておきます。12/22に発売された諸々については、実はまだ1つも入手しておりません。
入手予定だったものもあるけれど、
流れてきたあれこれの話を聞いて、今現在、
公式には一銭も落としたくない気持ち。
一方で、その素晴らしいお仕事ぶりに
敬意と感謝をお伝えしたい方々もいらっしゃるので、複雑だよ。
特定の個人に宛ててお歳暮を送れるシステムがあればいいのに。
Blu-ray 最終巻特装版の監督インタビューや
最終話のキャラクターコメンタリーについては、
ネット上で他のみなさまの感想を読んだだけで、
実物というかソースを直接見聞きしたわけではありません。
噂をもとにして意見をするのはフェアではない、と自分でも思うので、
この記事を「読む価値なし」と判断されても、反論する気はありません。
ただ、でも、あまりにも言いたいことがありすぎましてね……!
作品全体に関することなので、
全話視聴した人間なら、言いたいこと言ってもいいやろ!
一応、なるべく多くの、なるべく冷静なご意見を探して、
自分自身のクールダウンも図った上で、これを書いています。
元記事そのものを読んだわけではない方々の間では、
情報に尾ひれがついて、伝言ゲームみたいになりがちだし、
ただでさえ悪意は増幅されがちなので、
そこらへんは自分も引っ張られないように気を付けています。
しかし、それを差っ引いても、言いたいことはメモしておきたい。
ちょうどリアルで忙しすぎたのもあって、こんな年の瀬になってしまい、
この件で荒れた界隈も少し落ち着いてきた段階なのに、
自分だけ妙なタイミングでこれをお出しするのもお恥ずかしいのですが、
今年の怒り、今年のうちに!
たぶん来年にも持ち越すと思うけれども!
ついでに、私のこれまでのガンダム歴はこんな感じ(2023年版)(↓)。
(完走した作品のみ&ざっくりと視聴順)
ただし、読解力も記憶力も低いので、
あれこれ見ているわりにはガンダム用語がよくわかっていなかったりします。
- 機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ
- 機動戦士ガンダムUC RE:0096
- 機動戦士ガンダム
- 機動戦士Ζガンダム
- 機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争
- 機動戦士ガンダム THE ORIGIN 前夜 赤い彗星
- 機動戦士ガンダムSEED
- 機動戦士ガンダム 水星の魔女
- 機動戦士ガンダムSEED DESTINY
- 機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ TV EDITION
- 機動戦士ガンダム サンダーボルト TV EDITION
- 機動戦士ガンダムNT TV EDITION
監督インタビューより
今回明らかになった情報でいちばんびっくりしたのは、「スレッタとミオリネが結婚するラストは当初から決めていた」という点です。
着地点が決まっていて、それでアレ!?
そ、そ、そうなんだ……それでアレか……。
いや、あの2人をセットで扱っているのは当初から明らかだったし、
彼女たちがお互いを高め合う唯一無二の存在になってくれることを、
私も期待して見守っていたのですが、
そこに至るまでの描写がわかりにくい上に雑だったりもしたので、
「途中で強引にルート変更したのかな?」と思っていました。
だからこそ、S2はあんなにグダグダになっちゃったのかと思っていたのに、
そうなのか、それでアレなのか……。
まぁ、このへんの描写については、
「本編のあれでしっかり伝わる」とするご意見もあるし、
制作側と視聴者側それぞれの好みにもよるし、
ここを議論しても、終わりはないんだろうなぁ。
でも、男女間の心の交流は明確で鮮烈だったので、
できれば同じ1つの作品内で、トーンは揃えてもらいたかったなぁ。
何で女同士だと急にねっとりしちゃうんだ?
第22話の例の手繋ぎシーンを「性行為の暗喩」とするご意見もあるけれど、
私はあの扉越しの2人の対話が、そもそも噛み合っていないように感じられたし、
あそこでようやく「対等な友達として、改めてスタートした」と感じたんだよね。
ただ、それにしては直前のフェンシング決闘&ホルダー奪還がノイズで、
あそこはほんとうに、未だに意味がわからないのですよ。
投げ返されたクールさんを持って、「友達として」会いに行ったんだろうに、
やっぱり「花嫁」「花婿」という肩書きがないと会えない、
ってことになっちゃわない?
「役割なんて関係ない、あなたが大切、あなたが好き」っていう方が、
よっぽどグッとくると思うのですが……。
スレミオEND が最初から確定していたのなら、
仲直りまでに22話かけるんじゃなくて、
S1ラストまでに出会い・すれ違い・仲直りを済ませてほしかった。
そして、S2でスレッタの出生の謎・エアリアルの真実、そして、
ヴァナディース事変の真相(お互いの親の関与)に2人で辿り着いて、
世界の歪みに立ち向かっていく姿を見せてほしかった。
スレッタの出生は、自分の父親の過去の虐殺が起因していると知って、
そのことで葛藤するミオリネ、なんてのも描けたはずなのに、
それを乗り越えた末の絆だったら、誰からも応援されただろうに。
第9話までは、2人の心の交流は順調だったとは思うけれど、
S1からS2までの間に3ヶ月挟んだこともあり、視聴者の体感としては、
「ずーっとすれ違ったままだったのが、ラストで突然結婚」
って感じで、正直ついていけなかったんだよね。
スレッタというキャラクターを動かしづらくて、
結果、ミオリネとグエルに主人公的な立ち回りをさせてしまったのなら、
早々にミオリネとスレッタを真の意味でニコイチにさせて、
一緒に行動させればよかったんだよ。
グエルが地球から帰還した時は、その経験が2人にも共有されて、
それぞれの視野も広がっていくことを期待していたのに、全然生かされなくて、
物語もキャラクターも迷走しているようだったよ。
前にもどこかで書いたけれど、今回、私にしてはめずらしく
キャラ萌え・カプ萌えというハマり方をしたのですが、
もともと「恋愛がメインではない話の恋愛要素が好き」なオタクなので、
スレッタもミオリネも、主人公らしからぬ視野の狭さのままで終わったのが
最終回モヤッとポイントの一因なのかもしれません。
学校を作るとか、地球での謝罪活動(?)とか、
彼女たちの成長した証として描いたつもりかもしれないけれど、
こちらとしては、その過程をこそ見たかった。
2人の結婚を着地点に決めて、そこだけはやり通したからよかった、
と満足しているのかもしれないけれど、
私は2人が最高のバディになっていく過程を一緒に楽しみたかった。
例えていうなら、料理番組で、
材料と分量が紹介されて期待が高まったところで
突然脇から「そしてこちらが、完成したお料理です!」と
謎の一皿を出された感じ。
いや、作り方を知りたかったんですけど??
そうそう、今回、監督ご自身のお言葉として「結婚」が出たのですが、
それがネット上を騒がせたことで、ちょっと思うところがありまして。
本来、誰が見ても彼女たちがカップルとして成立していたら、
本編終了から半年近くも経ったインタビュー記事で
結婚というワードが出たくらいで、
あんなにネット上が賑わうはずもないと思うのですよ。
「え? してますよね?」とか、
「今さら何を言ってるの?」って雰囲気になりませんか?
本編ラストに初めて指輪が登場した時はともかく、
その後、雑誌の記事中に「結婚」の記述が載ったり、
電子版でそれが削除されたくらいでは、
あんなに大騒ぎにならないでしょう、普通は。
「解釈はご自由に」と公式サイドから声明が発表された後も、
「結婚した」と「解釈」した方々が、何故か他カプ推しの人々を攻撃したり、
今回こうして大騒ぎになったりしたのは、
「彼女たちの結婚を信じている人々すら不安になってしまうくらい、
本編中の2人の関係性の描写が薄い」
ということの、何よりの証左ではないですか?
そもそも、あのエピローグ、
指輪がなかったら2人がどういう関係なのか不明だもんなぁ。
学園卒業後も「花嫁」の弾除けとして「花婿」やってます、
と説明されたとしても、否定できないし。
監督のインタビュー記事では、
「テンペストに則って、少女2人が結婚するラストにした」
と語られていたそうですが、
それって、少なくとも結婚を
「善きもの、祝福の象徴」というイメージで捉えているということですよね?
だったら、スレッタに真摯にプロポーズ&告白をしたグエルや、
ミオリネを決闘の景品扱いするのを良しとしなかったシャディクの扱いを、
もうちょっと何とかしてほしかったなぁ、と思ってしまいます。
第17話の八百長決闘については、スレミオEND が確定していたなら、
「恋敵グエルの恋心を利用した上で、最終的にスレッタを得るミオリネ」
という描写に、スタッフは誰もツッコミを入れなかったんだろうか、と不思議です。
これ、例えばミオリネが男性キャラだったら、とことん叩かれていたと思うのですが、
こういう感覚を持つのは私だけなんだろうか……。
ちなみに、これ、スレッタからグエルへの好意の有無は無関係ですよ?
さらに言えば、ミオリネがスレッタに対して恋愛感情がなかったとしても、
あと、ここでグエルが承諾しなかったとしても、
この話を持ちかけた時点でアウトじゃない?
そしてシャディクは、メイン脚本家によって、
「唯一、ミオリネを人として好きなキャラ」と明言されていたようですが、
その彼の虚偽の自白(クワイエット・ゼロに関する罪を被ること)の上で
主人公たちの「幸せな」結婚が成り立っているのだとしたら、
こんなグロテスクなラストの、どこが「祝福」なんだろうかと思うよ。
シャディクは「あと一歩、踏み出せなかった男」ではありますが、
「大事な女の子をトロフィー扱いしない」という誠実さは、
もっとクローズアップされてもよかったんじゃないかなぁ。
確かに、犯した罪は重いけれども。
あと、いろいろ考えると、やっぱりあのフェンシングがノイズになっちゃって、
意味がわからないしイラッとしちゃうんだよなぁ。
結局、あれでホルダーや婚約者の地位がスレッタに移動したってこと?
それで、2人はそのルールに従って結婚したってこと?
わからない、わからないよ……。
それに、そういうことなら、
決闘ルールに巻き込まれて死んだエラン(強化人士4号)の扱いも、
もうちょっと何とかならんかったのか、と思う。
ペイルの闇に辿り着く発端とか、GUND の真実とか、
もっとこう……もうちょっとこう……ヴァァァァ!!(発作)
ところで、監督は
「テンペストに則った、少女2人が結婚するラスト」
を強調していたようですが、それを知って
「『結婚』に固執していたのは監督だったのか……」と思ってしまいました。
(以前の、非公式スタッフ本にまつわるあれこれを思い出しつつ)
ただ、でも、このラストにすることにだけこだわっていて、
もしかしたらその過程やその描写については、
特にこだわりやイメージがなかったのかもしれないですね。
百合なら百合で、別によかったのだけれど、
私の知っている百合は、世間で言うそれとは違っていたんだろうかなぁ。
ていうか、百合でも何でも、まずは最低限、
「女性主人公のガンダム」をきっちりやってほしかったです。
なーんか、どうも本編そのものや今回のインタビューからは、
百合そのものにもガンダムにもあんまり興味はなさそうな雰囲気が伝わってきて、
まずはそこから、この混沌が始まっていたのかなぁ、などと思ったり……。
……ん? あれ?
「少女2人が結婚するラスト」は「当初の企画どおり」らしいけれど、
他のスタッフは「ラストはみんなで決めた」って言ってたんじゃなかったっけ?
あと、「YOASOBIの『祝福』を聞いてラストを変えた」って話もあったよね?
そして、企画段階ではスレッタは「冷静な指揮官」で、
一方ミオリネは「黒幕の愛人」だったという話も聞くけれど、
それで「少女2人が結婚するラスト」にするつもりだったんでしょうか?
テンペスト云々って、いつから混ざってきたんだろう? どっちが先?
いろいろと情報が開示される度に、かえってわけがわからなくなるなぁ。
ガンダム作品はこれまでいろいろと視聴しているけれど、
「ガンダムらしさ」の定義については、実はよくわかっていないので、
私は深く語ることができません。
そもそも、個人差ももしかしたら大きいのかもしれないし。
ただ、でも、私がガンダム作品に対してぼんやり抱いている
「世界の理不尽と戦い、成長していく主人公」というざっくりしたイメージは、
そんなに間違っていないと思っているのですが、どうでしょうか。
水魔女に対する否定的な評価は、だいたい根底には、
これが果たされなかったことによる不満もあるんじゃないかなぁ。
そうそう、一部のファン層による
「百合ENDが気に入らないから否定的なんだろう」というご意見は、
全くの的外れな反論だと思います。
大多数の方々は、そもそもガンダム作品に恋愛要素を求めていない気がする。
恋愛要素で盛り上がっている層からも、
「ちょっとでもその片鱗があれば、こちらで勝手に温めて楽しむ」
くらいのスタンスを感じていますが、違うのかなぁ。
あと、ミオリネの描き方も、ひたすら、もったいなかったです。
S1では、あれこれ足りないところがあっても、
根は悪くない、伸び代は十分にあるから今後が楽しみ、
と前向きにとらえて見守っていたのですが、
S2では擁護しきれない言動が目立ってきて、辛かったです。
敵側のキャラなら別にそれでもいいし、
味方側でもサブあたりならまだしも、
水魔女全体としてはそんな彼女がストーリーを引っ張る主人公になってしまって、
それも視聴者から反発されている原因になってしまっているのでは?
そして、もともと主人公として設定されたはずのスレッタは、
ミオリネにその座を譲るためなのか、単に動かしづらかったのか、
内面がよくわからないまま物語が終わってしまったのも惜しい。
視聴者としては、メインの2人がどちらも、
共感や感情移入をさせづらい性格になってしまったのは、失敗だったと思う。
そして、スレッタの、人見知りだけれどダメなものはダメと言える芯の強さや、
ミオリネの、行動力と決断力の強さなど、
個々ではそれぞれいいところもあったのに、
ペアになるとそれが発揮できなかったり、キツさが強調されてしまうなど、
相性の悪さはこちらまで心配になってしまうほどでした。
私だって、スレミオには期待していたんですよ。
「さすがは看板カプだね、お似合いだね」って、結婚を祝福したかったよ。
でも、本編終了後に世に出たあれこれでは、
スレッタはミオリネの太鼓持ちだし、
それをミオリネは止めたり照れたりもせずに冷たい態度を取ったりするし、
けもみみグッズの書き下ろしイラストでは、
苦しそうな顔&怒り顔だったりするんだよね。
そういう描かれ方をしたっていうのは、
スタッフの中で彼女たちの最終イメージがそこに落ち着いた、
ってことだと判断していいですよね?
私にはとても、あれを「対等で仲良しな女子2人」とは思えないよ。
インタビューでは「赦し」についても語られていたそうですが、
これについてもなぁ……。
赦す赦さないは被害者側の感情の問題であって、
社会的に加害者が罰せられないというのは、おかしくないですか?
そういう描写がないだけで、描かれていないけれどあるんです、
という説明には、正直、「は?」って思っちゃう。
個人的な復讐や私刑を抑制するために、社会の機能として、
司法による裁きが必要とされているのではないですか?
それが本編内できちんと描かれなかったこと、
もともとはスペアシ格差の被害者でもあったシャディクが
その被害の大元でもあるデリングの罪まで被ったことが
(クワゼロはプロスペラだけの罪ではないはず)、
作品全体に対する不信感や不快感につながっていると思うのですが、
どうもそのあたり、監督とは感覚が合わないなぁ、と思ってしまいました。
先述の「少女2人の結婚」にしろ、この「赦し」にしろ、
監督の中でテーマは一応あったようだけれど、
そこに至る過程を見せるのが「物語」だと思うのに、
個人的には、見ていていちばん経緯がわからなかったのがこの2点でしたよ。
私とメインスタッフの感性や好みの差異からきているのか、
現場はこのラストに向けて突き進むだけでせいいっぱいだったのか、
私には、もう、わかりません。
しかし、あんなふうに
何だかよくわからないシュワシュワでごまかされるくらいなら、
プロスペラにはやっぱり、本懐を遂げてほしかったなぁ。
ああ、いや、エリクトのために復讐相手と協力する道を選んだんだっけ。
でも、そもそもデリングとプロスペラ(エルノラ)が出会った経緯とかも不明だし、
ノートレットの遺伝子操作の技術はスレッタの出生にも絡んでいると思ったのに、
ここらへんの情報がまるで不透明なのもスッキリしなくてねぇ……。
まぁ、それはともかく、水魔女が中身のない話になってしまったのは、
監督ご自身がテーマとその描き方を絞りきれなかったことが原因だったのかな、
と考えています。
そして、「中身のない話」で終わればまだマシだったけれど、
視聴者のためを思って楽しめそうな要素をあれこれ盛り込んだのか、
はたまた用心して保険をかけすぎただけなのか、
いわゆる「フック」が多すぎて身動きが取れなくなった、っていうのもあるよね。
さらには、それらの、おそらく軽い気持ちで取り入れた要素の多くが、
今、この日本でリアルに苦しむ人も多い問題と直結していて、
もっと綿密な取材をしたり、描写には細心の注意を払う必要があったのに、
それができていなかったのも、ちょっと、あかんかった。
もうちょっと深掘りできそうな問題だけれど、
ここらへんはすでに多くの方が言及しているので、割愛。
ただ、まぁ、全体的に古い価値観・女性観のままで作られてしまった作品、
というのは強く感じています。
今回は「ガンダム史上初の女性主人公!」と宣伝した結果、
「ガンダム慣れしていない女性視聴者」もたぶん多かっただろうから、
それで最終話まで付き合ってアレだと、反感もすごかったんじゃないかなぁ。
私は「男性には女性がわからない、女性を描けない」とは思っていません。
そういう単純な話ではないし、女でも女を描けない人だっていると思う。
あるいは、当事者だからこそ気付かない部分とか、
当事者ではないからこそ持てる視点とか、そういうのもきっとあるよね。
「経験していないことは書けない」というなら、
世の中にこんなにフィクションが溢れているわけはないだろうし。
今回の、この水魔女に関しては、
取材不足とか勉強不足とか、そういうのがモロに出てしまった、
っていうのが近い気がする。憶測だけれど。
あと、これまたとっくに多くの方々に指摘されていることですが、
メインスタッフは、リアルの女性にあんまり関心がないのでは、とも思う。
そもそも関心がないので、女性像が昭和なままだという自覚がないし、
理解や表現ができているかどうか、疑問に思うこともなくて、
作品に落とし込んでしまったのではないかなぁ、と。
だからやっぱり、これは、
「少女をはじめとする、女性に向けた作品」ではなかったんだろうね。
「中年男性による、中年男性のための作品」だったんだなぁ。
私は自分のことをだいぶおっさん寄りだと思っていたけれど、
案外そうでもなかったのかな、と考えるようになりました。
ただ、でも、最低限、
「子どもが見て、未来に希望を持てる作品」であってほしかった。
辛いことがあっても、苦しいことがあっても、
努力はいつか報われる、悪はいつか裁かれる、
そう信じられる物語を見せてほしかった。
私が水魔女に大きく失望している点の1つに、
「スレッタとグエルが、正当防衛とはいえ人の生命を奪ったことに対して、
その罪にどう向き合い償っていくのかが、ほとんど描かれなかったこと」
「さらには、彼ら自身に対するメンタルケアもほとんど描かれなかったこと」
があります。
スレッタの人間潰しもグエルの親殺しも、
ただのバズり目的でまともに作中でフォローする気がなかったのなら、
本気で許せないよ。
……と、まぁ、いろいろとまた考え込んでしまいましたが、
関連発行物はこれでほぼ出揃ったし、ようやく落ち着けそうかな、とも思います。
普通だったら、こういうの、淋しいはずなのにね。
ああ、でも、全校集会の Blu-ray が控えているんだったか。
あと、こないだ出たばかりのちょこりんマスコットがかわいらしすぎて、
地元のアニメイトで箱買いするかどうしようか逡巡しちゃったのでした。
冒頭で書いたように、公式には一銭も落としたくない気持ちと戦っています。
うーん、うーん……。
いやー、でも、しっかし、
監督が結婚に固執していたみたいだから、こっちもそれになぞらえて言うけどさぁ、
あの終盤の展開やラストって、
「女性に対する蔑視&軽視、そして神聖視(?)による悪夢のマリアージュ」
って感じなんだよね。
(マリアージュって結婚って意味だよね?)(あ、よかった)(←ググった)
何だか妙に、女性性(≒優しさ?)とか母の愛とかを
過信(?)しているように感じられちゃって……。
アレをハッピーエンドと受け止めた方々に対しては
「あなたと私は違うのね」としか思わないけれど、
ハッピーエンドとしてお出ししてきた制作サイドに対しては、
「お前もキーホルダーにしてやろうか」って、
ケンシロウの声で思っちゃうわよ、これからもきっと。