水魔女再考・4:未だ囚われている

 2024/02/02 Fri

水星の魔女

水星の魔女 Blu-ray 最終巻発売から1ヶ月以上が過ぎて、
世間は SEED の新作映画の話題で持ちきりだけれど、
私は未だに、水魔女とはどう折り合いをつけたらいいのかわからないままです。
今までそれなりにたくさんのアニメ・ゲーム・漫画や小説に触れてきた中で、
あんまり楽しめなかったり途中で離れたものもあったし、
いわゆる「炎上」を目の当たりにしたこともあったけれど、
全体的にはわりとドライにそのエンタメから卒業して、
もっと楽しめるものへと移行できたんだよね。

でも、水魔女に対しては、
自分にとってもアニメ史上においても名作になる予感があったのに、
最終的には「全くもって不可解な何か」に成り果ててしまって、
まだまだ心が追いついていない状態です。
「勝手に期待して、勝手に裏切られた気になっている」
と言われてしまえばそれまでだけれど。

とっとと見切りをつけて離れてしまえばいいのに、とわかっているものの、
大好きだったキャラクターたちをあの世界に置き去りにするなんて、
可哀想すぎてできないよ。
でも、本編のあの展開では、もう、明るい未来を望めないだろうな、
とも思ってしまうんだ。

不可解なのは、物語そのものに加えて、公式サイドの方針に対しても。
「テンペストにならって主役2人が結婚」と決めていたのなら、
声優さんのインタビュー記事にその単語が出たあと、
電子版でそれが削除されたり、
休日返上で「解釈は視聴者に委ねる」と公式から発表されるなど、
やたらと大騒ぎになっていたのはどうしてなの?

そもそも、初めからそのつもりなら、
御三家の男の子たちとの絡みは必要なかったんじゃないの?
その分、女の子たち2人が心を通わせていく描写に集中するべきだったのでは?
関連グッズについても、メイン女子2人だけ、
もしくは2人がセットになったものがたくさん発売&発表されていることから、
公式サイドとしては彼女たちが視聴者層に支持される、
あるいは最低限、受け入れられると想定していたのだと思います。
でも、あの終盤の描写で、彼女たちそれぞれ単体ですら疑問を抱かれる可能性を、
ほんとうに少しも考えられなかったの?

英雄にならなくてもいいし、偉業を残さなくてもいい。
まだまだ10代だったり、20代になりたての若者なんだし、失敗したっていい。
でも、私から見て彼女たちは、
その後を応援したくなるようなキャラではなくなってしまいました。
それがとても悲しい。

批判も承知の上で、ハッピーエンドとして押し切っているのか?
それとも、心からそう思って、自信を持って提示しているのか?
わからない、何もかも。
公式に対する不信感だけが降り積もっていくよ。
放映開始直後だったか、
「マイノリティの生きづらさに寄り添う云々」
という言葉をどこかで見た気がするのですが(うろ覚えでごめんなさい)、
これについても「そんな作品だったか?」と思ってしまう。

マイノリティと聞いてまず思いつくのは「性的マイノリティ」だけれど、
これは「主役2人が同性婚をした」って部分にかかるんだろうか?
でも、彼女たちは、特にS1 では明確に、異性愛者として書かれていたよね?
「2人とも実はバイセクシュアルでした!」という可能性もあるけれど、
これ、例えば当事者の方々からするとどういう感覚なのかなぁ。
私はそもそも、本編で描かれた彼女たちは
「主従関係・擬似親子関係」にしか見えなかったので、
性愛どころか対等な友情すら育めていないと考えているのだけれど。

それに、「性的マイノリティの『生きづらさ』」については
本編中で特に描写はなかったように思いますが、どうなんだろうか。

他には、社会的なマイノリティとして、
経済的弱者であり日常的に嫌がらせをされている
地球寮の面々やアーシアンを登場させたのかもしれないけれど、
結局エピローグ時点でも力関係は不均等なままで、
「格差は歴然と存在する」という印象しか残らなかったんだよなぁ。
「赦し」を描きたかったとかテーマだとか聞くけれど、
そんな、Blu-ray 最終巻の特典で初めて明かされても、
苦し紛れの後付けのようにしか思えないし、
その「赦し」についてすら、本編で描かれたものは捻れていたように思う。

例えば、スレッタがプロスペラを「肯定します」といった件ですが、
スレッタが母を赦すか否かは、自分がされた仕打ちに対してのみで、
クインハーバーやクワゼロで虐殺を行ったことについては
全く何の権限もないですよね?
クワゼロの罪をシャディクが被ったのも意味がわからないし、
スレッタがそれを気に病むふうでもないのが、ほんとうに、わけがわからない。
気が弱くて自分に自信が持てなくても、
おかしいと思ったら「そんなの、おかしいです!」と言えるのが
スレッタ・マーキュリーという女の子だったはずなのに。

その他、クインハーバーの件で部屋に引きこもるほど責任を感じていたミオリネが、
ヴァナディース事変の首謀者である父親にその罪を問うた様子もなく、
さらにクワゼロの罪をシャディクが被ったことを承知しておきながら
宇宙と地球の架け橋として活動している(?)、というのも、
どう受け止めたらいいのか、さっぱりわからない。
「誰かを犠牲にするのはもう嫌です」って言っていたのに、
シャディクはその勘定に入っていないの?
作品のテーマとしては、放映開始直後だったか S2 の直前だったか、
「テーマは呪い」って聞いたような気がするのですが、違ったっけ?
だから、ガンダムの呪いは当然、本編中で克服できると信じていたし、
スレッタこそがその希望の光になるんだと信じていました。

でも、ガンダムを謎の光で消し去るという強引な手段で「解決」して、
それなのに、スレッタは呪いを一身に受けて障害を負うという、
誰も喜ばなさそうな着地点に落ち着いてしまったのは何故なんだろうなぁ。

これも、せめて逆だったらよかったなぁ。
ちゃんとMSを活躍させて、ラストバトルにふさわしいものを見せた上で、
スレッタは不思議な力で守られて後遺症なしでした、ってことなら、
ご都合主義だという声は出そうだけれど、ハッピーエンドと言えそうだもん。
水魔女のことを「大成功」とか「ハッピーエンド」とする声を時々耳にしますが、
ほんとうの意味で満足している人って、いるのかなぁ。

百合展開を期待していた人たちだって、内心は2人の仲を疑っているから、
他カプや他カプ推しをいつまで経っても攻撃してるんでしょ?
2人の結婚式とか、チュウ程度なら、本編で見せてほしかったと思ってるんでしょ?

MS戦を楽しみにしていた人たちは、
それ自体が少なかったり戦闘が単調だったことにがっかりしているようだし。

政治劇的な側面に興味があった人たちも、
こんな、主人公たちがそこに目を向けず、何も解決できないまま終わったことに、
深く失望したんじゃないのかなぁ。

もっと軽くゆるく、人間ドラマ・学園ものとして見ていた私としても、
S2 では、もともと好きだったキャラたちでさえよくわからなくなって、
物語についていけなくなってしまいました。

映像や音楽、声優さん方の演技は素晴らしかったけれど、
それだけでは、アニメとしては不完全なんだよね。
ごくごく当たり前の話だけれど、思い知らされました。
そういえば、未だに看板カプ推しの方々が他カプを必死になって否定していて、
興味深い現象だなぁ、と思っています。

私は、他作品も含めて、他カプや他カプ推しの方々のことって、
ぶっちゃけ特に存在を意識しないというか、「ふーん」と思うくらいなのですが、
何でそんなに気になるんだろうねぇ。
そもそも自カプを愛でるのに忙しくて、他に目を向ける余裕なんてないですよ。

あと、「接点がない」「脈がない」という理由で執拗に否定してくるのも不思議。
そう思うのは個人の自由だけれど、わざわざ相手に言わずに居れないのって、
一体何なんだろうねぇ。
二次創作って、ただ純粋に、
「この子たちが一緒にいるところを、もっと見たいな」
って気持ちを表現しているだけなのに(個人の解釈ですが)、
何を焦っているんだろうか。
だいたい、接点だの脈だの、
それこそ読解力次第でどうとでも解釈できるものなのに。

ワカメとキュウリを見てごらんよ。
生きている間は決して出会うことのなかった2人が、
経緯は知らねど酢で和えられて、
今では酢の物界を代表する立派な一品となっているではないですか。
可能性を信じて夢を見ることの、何が気に食わないんだろうね?

「原作至上主義! 二次創作は一切認めない!」
という考え方やそういう人々がいらっしゃることは把握しています。
でも、そう主張する一方で、
自分が好きなキャラやカプについての二次創作は喜んで受け入れていたりするのは、
「公式」「非公式」「二次創作」の意味や違いについて
よくわかっていないのかな、大丈夫かな、と心配になってしまいます。
SEED の映画、ちょっと気になっているけれど、
今は何を見ても「水魔女もこうだったらよかったのに」と思ってしまいがちで、
同じガンダム作品なら、よけいにいちいちそう感じてしまいそう。
そんなの、あちら様の作品やスタッフや他のファンの方々にも申し訳ないので、
うーん、私は遠慮しておこうかなぁ……。

同じ理由で、鬼太郎の映画も気になりつつ行けずじまいです。
こっちはそろそろ上映終了しちゃうかなぁ。
いつか、見る機会があるといいなぁ。

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