【最終回感想・15:問題点の洗い出し】「機動戦士ガンダム 水星の魔女」

 2023/10/09 Mon

水星の魔女

水星の魔女

まえがき

番組が終了してからも関連商品の展開やインタビュー記事の掲載などは続いて、
それ自体はとても喜ばしいはずなのに、
毎週のように何やかんやでモヤッとしてしまうのは何だかなぁ。
燃料投下が止まらなくて、キャンプファイヤー続行中ですよ。
どうせなら、もっと楽しく踊り狂いたいのになぁ。

ちなみに私は、某誌掲載の記事などから、
「あ〜、制作側は一応『2人は絆を深めていった』と描写したつもりだったのか」
「あ〜、プロスペラのこと、ちゃんとラスボス扱いしていたつもりだったのか」
というのが判明して地味にダメージ、でしたねぇ。
「へぇ……? アレで……?」って。

まぁ、でも、今現在の公式への気持ちとしては、
「もう怒らないから(これ以上は)、
 何がどうしてああなっちゃったのか、正直に言ってごらん?」
って感じ、ですかね。

最終回直後に半泣きで「1:リアタイ直後の第一声」を殴り書きして以降、
週1ペースでここに思いの丈をぶちまけてきましたが、
おかげで最近は心の平穏を取り戻しつつあります。

水魔女に対しては、今後も何か言いたいことが出てくるかもしれないけれど、
「最終回感想」として語るのは、あと1回でおしまいにしようかな、と思っています。
というわけで、総まとめ的に、
私の個人的な主観による「この作品のマイナスポイント」を
改めて整理してみようかな、と。

物語に対する信頼感の喪失

オタク歴はそこそこ長い私ですが、理解力にはあんまり自信はなくて、
そもそもあらゆる意味で鈍い上にやたらと楽観的だという自覚があります。
これまで他作品で「あのアニオリは不要/不自然だった」とか
「ここから明確に路線変更された」という他の視聴者の指摘があっても、
「え? そう?」「え? 気付かなかった」というのがほとんどでした。

でも、水魔女の終盤は、そんな私でさえスルーできない不可解さがあって、
展開の強引さや一部のキャラクターの唐突&意味不明な台詞など、
「え?」「んん??」「あれ?」の連続で、
今思うと、よく完走できたなぁ、と……。
S2放映中は軽い不眠症状が続いていたのも、
「楽しくて興奮して眠れない!」というよりは
「単純にストレス」だったんだろうなぁ、って……。

路線&設定や脚本の変更そのものは、別に問題はないのですよ。
そんなもの、アニメに限らず、漫画でもドラマでも映画でも、
どの制作現場でも少なからず行われていることだと思う。
でも、最低限、物語が完結するまでの間だけでも、
視聴者や読者側にそれを悟られないようにしてほしい。
最後まで見届けた末に「……ん?」って気付いてしまうならまだしも、
見ている最中からあちこちに違和感を覚えさせるような仕上がりは、
さすがにちょっと、お粗末だと思うよ。

S2では、私の狭い観測範囲内だけでも、
わりと早い段階で物語を見限ってしまった方々が多くいらっしゃるのですが、
この件について、手持ちのとある本のことを思い出しました。
漫画なので、文章で表現するのが少し難しいのですが、以下に引用します。

「くも太直伝 マンガの作り方教室」より
「同じヒドイでこれだけ違う」

  • 失敗……「う〜〜 ヒドイマンガだ」(ムカムカ)
  • 成功……「うーー ヒドイ奴だ」「がんばれ太郎!!」(ムラムラ)

引用:「こんにちは劇場」(くもぎり太郎/ラポートコミックス/1994年)

(↑)読者が、物語そのものに怒りを募らせるのは「失敗」で、
キャラクター(基本的には主人公の「敵」)に対して怒りを燃やすのは「成功」、
というのが図解されていたのですが、うまく伝わりますでしょうか……。

この例を水魔女に当てはめてみると、
二重の意味で「失敗」だったのではないかなぁ、と。

S2開始後(人によってはS1の後半から)、
界隈では「何だかおかしいぞ?」と察知する声が出ていたように思います。
そして、最終回放映からそれなりに日が経った今でも、
物語全体に対する疑問点がネット上ではいくつも挙げられています。

展開の強引さ&キャラクターの扱いや提示されたテーマへの雑な処理など、
いくつもの懸念点からの憶測ではありますが、
おそらくはどこかのタイミングで、
何らかの大幅な変更が生じたのではないかなぁ。

そして、S2ではミオリネを中心に描かれていたのですが、
それらの皺寄せらしきものを彼女が一身に被った結果、
共感しづらいキャラクターに変化してしまって、
視聴者の不満も彼女へ向けられてしまっているのが、今の状態だと思います。
(漠然としたものより、ヒトのカタチをしているものの方が、
 感情をぶつけやすい、というのもあるのかなぁ)

これ、特に失敗だなぁと思うのは、
ミオリネはヒロインで、主人公の「パートナー」なのに、
物語の歪みを象徴するかのような存在になってしまった点です。

主人公にとって敵側のキャラクターが視聴者の反感を買うのはともかく、
味方側の誰かがそうなってしまうという展開には、
少なくとも一時的だったり何らかの理由があったり、
その後、報いを受けたり反省するなど、
それなりの手厚いフォローが必須だと思う。
キャラクターに対しても、視聴者・読者に対しても。

でも、ミオリネにはそれがないままで終わってしまった。
彼女のそういう言動に対して、劇中で諌めたり反論するキャラクターも
ほとんど登場しなかった。
たぶん、制作サイドはあくまでミオリネを
「正義の主人公」として描いているからこそ、
そういう対立者を出す必要も感じなかったのだろうけれど。

水魔女は、「嗜好や感覚のズレ」で片付けるにはあまりにも大きな隔たりが
物語の作り手と(一部の?)受け手の間で発生してしまったために、
違和感を覚えていた人々の意識はますます物語から乖離(かいり)してしまって、
それが最終回で決定的になった、という印象です。

私はただ、安心して物語に没入したかっただけなのになぁ。
周りと比べてみた感じだと、
かなりギリギリまで呑気な視聴者だったとは思うのですが、
今思えば、ラスト数回のあたりは頭おかしくなりそうだったもんなぁ……。

キャラクター間の情報共有の不足

S2にて、ミオリネさんとグエルくんが合流したあたりから
毎回言っていたような気もするけれど、
それぞれが手持ちの情報のうち、何をどれだけ相手に伝えたのかが不明で、
事あるごとに頭の中で
「え? ほにゃららのことはもう伝わってるの?」
と立ち止まって考えないとわからない、ということが何度もありました。

例えば、グエルくんの親殺しの件とか、地球で捕虜にされていた件とか、
スレッタが人を潰した件とか、ソフィを(間接的に)死なせた件とか。
スレッタがリプリチャイルドだという件も、
ミオリネやグエルくんは、……、把握したんだよね? 直接聞いたのかな?
でも、正直、地球寮のみんなよりも、この2人こそ、
それを聞かされた時の反応を描いてほしかったのですが……。
(それはそれとして、本人にとってもショックであろう出生の秘密を
 わざわざ自身に語らせるというのが、こう……、気遣いがなってないな!?)
(↑これは脚本に対する怒りです)

そして、「9:ライバル枠としてのグエル」でも書きましたが、
グエルくんとスレッタへ、
「お互いに親殺し・人殺しについて打ち明けて、
 その罪を共有して償いを考えていく」
という機会を与えなかったことに、私は強い憤りを感じています。

「お母さんが言うんだから間違いない、正しいことをしたんだ」
と自らの罪から目を逸らしていたスレッタが、
父を殺してPTSDを抱えているグエルくんと話すことで、
「私が潰したあの人は、誰かの『大事なお父さん』だったかもしれない」
と気付く、重要な転機となったかもしれないのに。

あと、私の最推しはグエスレですが、初恋としてのエラスレも好きなので、
エランさん(4号)の死がいつまでも曖昧にされたまま
半端なタイミングであっさりとエランくん(5号)から伝えられたり、
最終回でファンサービス的にエランさんを登場させてごまかされたことにも
けっこう腹を立てておりまして(むかぷんぷん!)。
エランさんの存在と死を、もっとがっつり、
スレッタの人生に刻んでほしかったのです。

例えば、彼の死をグエルくんと再会する前後に知らされていたとしたら、
「私が潰したあの人は、誰かにとっての『エランさん』だったかもしれない」
とも考えられたかもしれないですよね。
……ていうか、そう気付いてほしかった。

さらに言えば、第17話の決闘では、スレッタは花婿の座に固執するあまり
グエルくんを殺しかけてしまっているわけだけれど、
そのことについては自覚していないっぽくて、怖いというか、
「主人公なのに、そういう重要な部分を描いてもらえないって、どゆこと!?」
って、びっくりしちゃうんだよなぁ、脚本に。

ここらへんについても、
ソフィが「欲しいもの」のために平気で人殺しをしていたことと絡めて、
「あの時の私は、ソフィさんと同じだったんだ……」
って、気付いてほしかったのですが、それもなかったんですよね。ねー……。

こんなに丁寧にエピソードを積み重ねているのに、
どうして撒き散らしたまま突き進んでいっちゃったんだろうね?
アニメの作り方ってよく知らないけれど、
やっぱり構成とか脚本とかに難があったのでは、と思ってしまいますよ。

グエルくんについては、ラウダくんとの兄弟喧嘩の際に、
それまで1人で抱えていた罪について、やっと話すことができたものの、
社会的にどう償ったのかは描写されないままでした。

スレッタに至っては、「私も間違えました」で済まされて、
結局、肝心なところが何だかよくわからなくて、
反省はしているみたいだけれど、そ、それで終わりかぁ、という感じで……。
えーと、この子、主人公でしたよね?
このへんの葛藤とか、台詞でさらっと済ませちゃうんだ?? って……。

あの第12話でS1が終わって、S2スタートまでの3ヶ月間、
2人がいつか再会して、お互いに人を殺した罪について向き合うことを
ずっと待ち望んでいました。
このことをテーマにした二次創作もたくさん拝見して、
どれも2人に対して愛情を持って描かれていて、私もだいぶ救われて、
さあ、本編の「解」はどうだ! と楽しみにしていたら、まさかのスルーですよ。
もう、びっくりですよ。

2人がサブとか準レギュラーとかだったらともかく、主人公とライバル枠なのに。
それに、彼らの罪だけではなく、エランさんやソフィ&ノレアなど、
「死」に対する扱いが妙に軽いと言うか、雑な感じで、ちょっとなぁ……。
しかも、そういう、罪を犯した子どもたちに対するケアが、
全然配慮されていない、というのもけっこうショックですよ。
グエルくんには、オルコットさんとの出会いやラウダくんの存在が
支えになってくれていたと思うけれど、スレッタはほんとうに可哀想。
地球寮のみんなだけじゃなくて、できれば導いてくれる大人キャラが、
主人公の近くに1人くらいはいてほしかったです。
まともにフォローする気がないのなら、
子どもたちに人殺しなんてさせてほしくなかったよ。

説明不足&匂わせの乱発

先ほどの「キャラクター間の情報共有の不足」とも連動しているのですが、
尺の都合と洗練された描写に力を入れた結果なのか、
全体的に説明が足りておらず、あまりにも視聴者に投げっぱなしだったと思う。

それでいて、意味深なカットや伏線・フラグとも取れる台詞が多くて、
こちらとしては深読みしたりして不安&期待で待機していたのに、
結局、最後まで放置されたり浮いたままだったりする要素が多くて、
ぶっちゃけ「無駄にストレスかけられ続けただけ」という徒労感が大きいです。

S1の後半以降のどこかで、当初予定されていた展開から変えられた可能性が、
S2(特に終盤)のあれこれ不自然な点から漂っているけれど
(例:シュバルゼッテの扱い)、
もしかしたら、もともと結末ははっきり決めていなかったのかも。
今では、そんなふうにも思ってしまいます。

「話題になりそうな描写や台詞だけをとりあえず用意しておいて、
 SNS上の反応を見て物語の着地点を調整して、
 回収できる要素だけ拾っていけばOK」
……とか、そもそもそういう手法で作られたというなら、
あのヤケクソ気味なラストバトルにも納得できてしまいそう。
全ては憶測ですが。

ああ、でもなぁ、先に書いた「物語に対する信頼感の喪失」にも繋がる話なのですが、
私、1つだけどうしても許せないところがあって。
「スレッタがどんな思いでキャリバーンに乗ってるか分かる!?
 死んじゃうかもって震えてた……(以下略)」
っていうミオリネの台詞(第23話)なのだけれど、
この重大な情報を、言った本人じゃないキャラの発言で済まされちゃったことが、
作り手に対する不信感の決定打だったなぁ、と今では思います。
それまでは、第15話の例もあるし、ラスト2話でも何とかまとまるでしょ、
と強気でいられたのですが。

「お母さんにとっていちばん大切なのはエリクトだから」って、
淋しそうに笑ってみせたスレッタ(第21話)は、
キャリバーンに乗って死ぬかもしれないという点には
まるで頓着していないように見えていました。
少なくとも、怖がったり嫌がったりする描写はなかったはず。

でも、その内心は逆で、「死んじゃうかもって震えてた」の?
それは、例えば回想シーンとして後で挿入するにしても、
きちんと見せるべきだったんじゃないの?
それまでのキャラの言動から十分予測されるものなら、
他者の説明で済ませるという手法で問題ないけれど、
スレッタがめずらしく本心を吐露する大切な場面で、これ!?
主人公でさえ、こうなんだ……??
あっ、S2の主人公はミオリネだから、ですか……?
ああ……そう……?

情報の取捨選択というのか、見せ方のチョイスが、
全体的になーんかおかしいんですよ、水魔女。
前にも少し書きましたが(「10:ミオリネ&スレッタ」)
男女間の恋愛感情と、スレッタ&ミオリネの親愛・友愛についての
描写の質量のアンバランスさとか。

キャリバーンに乗ることを懸念してくれたグエルくんの前でも
平気そうにしていたスレッタが、
ミオリネの前では本心を、弱音をさらけ出していた、というのを、
もっと丁寧に描写しておいてくれたら、
「何やようわからんけど、この2人、そんなに打ち解けあってたのか」
というのは理解できたと思う。
納得したかどうかはともかく。

そういうのを飛ばして、「死んじゃうかもって(以下略)」って
ミオリネの台詞だけが突然飛び出してきて、
「え? そんなシーンありました??」って、びっくりしちゃったもん。
録画を見返して「……ないよね?」って確認しちゃったもん。

うーん、何なんだろうねぇ、全ては尺の問題、ですか?
もともと2人で話すシーンがあった上で、あの台詞があったけれど、
都合で前者だけ削られちゃったりしたのかな。
しかし、それにしても、アレはよくないと思うのよ……。

女性主人公の扱い

ガンダムの呪いの克服、スペーシアン&アーシアンの経済格差問題、
それぞれの親子関係の改善など、
作中で提示された課題はほとんど放置されたままで、
物語は幕を閉じてしまいました。

これについては、
「『水星の魔女』は、2人の少女がお互いをパートナーとするまでの物語だから、
 その他の要素は深掘りされなくても仕方ない」
とする意見を目にしたことがあります。

でも、私は、スレッタとミオリネこそ、描写が足りていなかったと思います。
2人の関係性についての私の見解は
「最終回感想・10:ミオリネ&スレッタ」にもまとめていますが、
個々の人物像についても、いまいち掴みきれないままだったなぁ、って。

まずはスレッタについて。
リプリチャイルドって、結局、何なの?
カヴンの子たちは?
主人公の出自の謎って、ものすごく大切な要素だと思われるのに、
プロローグも含めてS1からずっと引っ張ったわりには雑に開示され、
その衝撃の事実にショックを受けたであろうスレッタも、
「寝て食べたら元気になりました!」みたいに
立ち直りイベントをあっさり終えられ、……。
いや、まぁ、とりあえずはよかったね、という感じでしたが……。

水星時代についても、もっと知りたかったなぁ。
救助活動を始めたばかりのちっちゃい頃のスレッタとか、
回想シーンを数秒でも入れたりとか、できなかったのかなぁ。

それから、ミオリネについて。
3年後のエピローグでも、わざわざエリィに口出しさせてまで
シャディクへ恋心を視聴者に印象付けたくらいだから、
この2人の出会いや過去も、もっと知りたかったなぁ。

あと、クイン・ハーバーにて大惨事を引き起こした時、
部屋に引きこもってしまうほどショックを受けてしまったのに、
父親がヴァナディース事変の首謀者であるという事実については、
それほど重く受け止めないままで終わってしまったんだろうか、
という違和感があります。

いや、最初にプロスペラにそう聞かされた時(第16話)、
「復讐したければ大人同士で勝手にやって!」と返していたのは、
その気持ちもわかるし、そう言いそうだよな、と思っていました。
でも、自分のせいで大勢の人の生命が失われるという経験をした後なら、
デリングの罪を、自分とは無関係なものと考えられるのかなぁ?
そして、加害者父娘&被害者母娘という関係なのに、
「私たち、家族になるんだから」と言い切っちゃうのが(第23話)、
何だかよくわからないのですよ。
そこらへんに葛藤はないのか? という……。
こういうのを丁寧にすくって、きちんと描写してこそ、
「2人の少女の物語」として成り立つのではないですか?

……ただ、まぁ、S2後半のあたりから、スレッタもミオリネも、
「作り手が定めた着地点へ向かわせるための、ただの駒」
に成り果ててしまって、
もうキャラクターとしては死んでしまっていたのかもしれない。
2人とも、S1序盤で感じたそれぞれの魅力が半減して、
もったいなかったし、とても可哀想に思います。

そうそう、先日お見かけしたご意見で、
「スレッタ&ミオリネが、もっと女性から支持を得られたなら、
 今後もコスメやアパレルなど、コラボが幅広く展開された可能性もあったのに」
というものがありました。

これ、ほんっと、そうだよね〜!! って思います。
素人の固定観念かもしれませんが、
女性ファンの方が関連グッズに対する購買意欲が高そうだし、
女性向けの商品の方が、実用系からコレクション系まで
バリエーションが豊か、というイメージがあるし。
2人のイメージのコラボ展開が成功したら、
その次は、地球寮とかシャディク隊とか、他の女性キャラのイメージでも
いろいろ出してもらえたかもしれないですよね。
えっ……、それ、すっごく見たい……、ていうか欲しい……!
うわー、見たかったー!

この2人が、お互いの親の勝手な計画のために仕組まれた
「花嫁&花婿」という歪な関係性から抜け出して、
肩書きなんて必要のない、唯一無二の「大親友」になっていたら、
女性層への人気はもっと出ていたと思うのに、
結局、何だかよくわからないまま「パートナー」になっちゃって、
応援しづらくなってしまったのが淋しいです。

うまくいけば、
「ガンダム界のなぎさ&ほのか(初代プリキュア)」とかいう異名を取って、
アムロ&シャアに次ぐガンダムシリーズの新たなアイコンにも
なっていたかもしれないのにー!
(あちらは主人公&ライバルという関係ですが、それはそれで……)

謎フェンシング再考

この「最終回感想」シリーズをまとめるにあたって、
S1からの流れを何度か復習していたのですが、
第22話の謎フェンシングが、私の中ではずっとずーっとノイズになっています。

リアタイ視聴時も唐突な展開に「????」でしたが、
「グエルくんとしては、八百長決闘(第17話)をずっと心苦しく思っていたのかな、
 彼のけじめとしての『決闘もどきの儀式』だったのかな」
と捉えていました。
あとは、メタ的に、スレッタをホルダー制服に戻したかったのかな、って。

その後、
「決闘に関する設定が変更され、あれも正式な『決闘』扱い」と伝わってきて、
強化人士の存在意義が消えたことなどに怒ったり、していました。

でも、じゃあ、「どうしてあそこで『決闘』をする必要があったのか?」
という点が、実は今でもよくわからない……。
設定を変えてまでして、あのタイミングで決闘を行うってことは、
物語上に意味があるからこそ、だと思うのですが、何故?

決闘の勝敗で持ち主が変化するのは、
ホルダーの座と、制服の色と、
トロフィー(ミオリネの婚約者になる権利)の移動ですよね?
「ミオリネが17歳の誕生日を迎えたタイミングで、
 ホルダーが婚約者に確定する」
という設定も含めて変更されたのかどうかが曖昧なのですが、
ここらへんって、結局どうだったんでしたっけ……。

スレッタの制服がホルダー仕様に変わってからも、
ミオリネや地球寮のみんなからは、一切の言及がないので、
あの「決闘」はほんとうに、何だったのかなぁ、って……。

第23話のミオリネの「私たち、家族になるんだから」発言から、
「あれ? スレッタが婚約者ってことになるの?
 ホルダーの座はともかく、婚約者はグエルくんで確定したんじゃなくて?」
と混乱してしまったのですが、うーん……?

「スレッタを母親の支配から解放したい、自分が支配しつつあるのも怖い」
という想いからスレッタをあえて冷たく突き放したのに、
それをまた「花婿」という役割に縛り付けるのも変な話だよね。

あるいは、全校集会の朗読劇で語られたように、
「ホルダーとか関係なく、あんたは私のパートナーなんだから」
ということにしたいなら、それを台詞なり何なりで、
本編中できちんと描写しないとダメでしょう。

よくわからないままミオリネVSプロスペラの台詞の応酬があって、
あの3年後の2人の、いや、ミオリネとサマヤ家の女性3人の姿があるから、
「花嫁と花婿だから、私たち、家族になりました」
という「おままごと」感がすごいのよ。

もしかしたら、尺と制作期間に余裕さえあれば、
あの謎フェンシングは、ちゃんとMS戦だった可能性があるのか?
うーん、うーん、わからない……。

バズり重視の弊害

水魔女が物語として破綻した要因の1つとして、
「制作側がバズりを重視しすぎた」という指摘を見ることがしばしばあります。
SNSでの反応が気になるのは、企業としては当たり前のことだし、
もしかしたら何らかのノルマなどもあるのかもしれません。
それでも、「意外性」や「インパクトの大きさ」に重きを置きすぎた結果、
本編が風呂敷を畳みきれないままのあの状態で終了したのなら、
とても残念に思います。

話題性も大事だけれど、ガンダムアニメって、
1つの作品を長く活用していくようなイメージがあるから、
奇をてらわず完成度の高いものを1本仕上げて世に出した方が、
商業的には「成功」だったんじゃないのかなぁ。
目先の新しさだけに力を入れたって、すぐに飽きられるし、古くなってしまうのに。

「シリーズ初の女性主人公かつ、本人および愛機の出自が謎」なんて、
それだけでもう、目新しさは十分だったんだから、
むしろ物語は堅実に、王道的な展開を基本として進めた方が、
幅広い層に受け入れられて、よかったんじゃないかと思います。
「辺境出身の主人公が、友を得て恋をして愛を知って、
 いつかは自分の出生の謎にも立ち向かって、
 仲間たちとともに、親世代の呪縛から解放される」
……というのを期待していたのだけれど、それじゃダメだったんですかねぇ。

あれもこれもと盛り込みすぎた結果、せっかく洗練されたデザインの MS たちも
あまり活躍できずに終わって、ほんとうにもったいないよ。
せっかくの決闘システムを、もっと活用してほしかったなぁ。

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