制作サイドのインタビューや関連発行物に付随して
新情報がちらほら届いてきたり、憶測が補強されたりしています。
今はもう、作品そのものについては
「不運な子、不憫な子」という目で見てしまうなぁ。
ただ、でも、今でもあの物語や最終回に真摯に向き合っている方々は多くて、
自分とはまた違う視点や角度で丁寧にまとめられた感想や考察が
続々と公開されているので、いつも興味深く拝読しております。
(そして、みなさまの洞察力や文章力に憧れてしまいます……!)
そんなこんなで、だいぶ心の整理はつけられたものの、
やっぱりあのラスト、特にスレッタについては
どうしてもハッピーエンドとは思えなくてなぁ……。
優しくて前向きな二次創作の数々に救われて、
あの本編軸でもスレッタが自立して幸せを掴んでいく未来を
想像できるようにはなってきたけれど、まだまだ……。
そんな中で、わりと最近たどり着いたご意見として、
「スレッタのあの『家族の世話をしながら田舎で暮らす』というラストは、
そういう生き方をしている人にとっては、救いや支えになっている」
というものがありました。
あと、私は彼女には
「主人公として、ちゃんと成長してほしかったなぁ、
というか、成長を描いてほしかったなぁ」
と思ってしまうのだけれど、それについても
「成長しなければならない、という重圧に苦しんでいる人からの解放」
という解釈をされている感想も目にしました。
うーん……、「そういう見方もあるのかぁ」という発見もあって、
それはそれで興味深いのですが、
スレッタの場合はこの生き方を「自分の意思で選択した」というよりも、
「それしか知らなかった、見えていなかった」だけに見えるのが、
私の中では引っ掛かっているのかもしれないです。
「お母さんが大好き、家族が大事、一緒にいたい」というのは
スレッタという女の子の芯とか核になっている部分ですが、
周囲との関係性を一旦脇に置いた時の、
彼女自身の「なりたい自分」「憧れる未来」というのを
本人に考えさせないままであのラストに閉じ込めてしまったように思えて、
それがとても悲しくて、淋しいのです。
彼女については、母への依存から脱却するための重要なアイテムかと思われた
「やりたいことリスト」でさえも、
「お母さんに勧められて、ただ何となく持ってただけで……」(第22話)
ってあっさり流されちゃったし、
S2の、特に後半の彼女については、
何だかよくわからないキャラになってしまって、
ミオリネ同様、「物語上の単なる駒」にしか見えなくなったからなぁ。
S1前半の、ちゃんと血の通った主人公のままでいてほしかったなぁ……。
あと、最終回全体の怒りポイントの最たるものとしては、
ガンダムをシュワシュワさせたり罪に対する罰が不平等にしか見えなかったり、
あっちもこっちもゆるふわでめちゃくちゃになっているのに、
「スレッタは無茶をしたので重度の障害を負いました」
って、そこだけ急に我に返ってシビアな因果応報を突きつけているところです。
我に返るべきポイントは、そこじゃないだろう!!
前にも書いた気がしますが、あの麦畑のシーン、
「体も少しずつ動くようになってきましたし」じゃなくて、
例えば「そろそろ杖も卒業できそうです!」とかだったら、
こちらとしても少しは安心できたんだけどなぁ。
だとしたら、子どもたちに杖を取り上げられている様子も、
平和な風景として眺めていられるのに、
あの描写だと「3年経ってあの状態か……」と悲観してしまうのですよね。
お顔だけではなく、おそらく全身に残ったであろうあの痕も、
関連書籍の表紙絵では、ぱっと見わからないくらいまで薄いけれど、
だったら最初からそんな設定を追加しなきゃいいのに、と思っちゃったよ。
肢体不自由にした上に、傷痕まで残すなんてさぁ、
せめてどっちかにせい、どっちかに!
いいや、これこそ不思議パワーで吹っ飛ばして
「いろいろ心配されてたけれど、無事でした☆」にしちゃえばよかったじゃん。
「エリクトが守ってくれました」とかでもいいじゃん。
そういえば、エリクトで思い出したのですが、最終回直後あたりに
「これならプロローグ&全24話じゃなくて、
『プロローグ・第1話・第24話』の内容で映画1本作ればよかったじゃん」
というつぶやきを見かけて「それ! そ!!れ!!」と思ったのですが、
改めて振り返ると、プロローグについてのアンサーも結局できていないよね。
ガンダムの呪いとか、エルノラ&エリクトに対する救いとか、そういうの。
「親の決めたルールで『花嫁&花婿』になった女の子たちが、
そのまま家族(?)になりました(?)」
って、それだけの話だもんなぁ。
あっ、そういえば、伝え聞くところによると、
「シャディクがクワゼロの罪を被ったのは、
プロスペラとスレッタの時間を稼ぐため」
という新情報があったらしいけれど、ほんとうですか?
えっ、それって、「プロスペラはもう、先が長くない」ってこと?
それはあの車椅子の姿で予想していたけれど、
もしかしてやっぱり、スレッタもだいぶ寿命削っちゃった感じ……ですか?
おおーん……(泣)。
最初に書いたように、今では水魔女そのものについても
「不運な子、不憫な子」と感じてしまっているのですが、
キャラクターについても、特にスレッタは可哀想だったなぁ。
出自が不穏なのは最初から覚悟していたけれど、
それに加えて人を殺してしまったことに対する葛藤とか、後悔とか、
そこから新たに見えてきたものとか目指すものとか、
そういうのを見守っていきたかったよ。
途中までは変化や成長の兆しも感じられていたのに、
結局、最後のシーンでは、
「お母さんの帰りを待っていい子にしていた水星時代」
に逆戻りしたようにしか見えなくて、辛かった。
ミオリネに気付いてこちらに向けたあの笑顔、
可愛いは可愛いんだけれど、あまりにも幼すぎて、
「えっ??」って思っちゃったもんなぁ。
ミオリネについても、あんな「お迎えに来たお母さん」の顔をさせて、
あんなの、「仲良しのハタチの女子2人」には見えなかった。
どっちも可哀想だよ。
放映期間中は、私は他のみなさまほどはMS戦の不足を感じなかったけれど
(というか、そこまで気を回している余裕がなかった)、
スレッタの素のパイロット技術やセンスを、もっと知りたかったなぁ。
極力楽観的に考えても、
本編軸だとMSを以前のように操るのは難しいだろうな、と思ってしまう。
故郷での経験を活かして、辺境の惑星や地球で救助活動をする未来とか、
そういうのも自分の中では温めていたけれど、うーん……。
スレッタと同じくらい強いグエルくんも、
社長業が忙しくてパイロット技能を活かせないのがもったいないよね。
地球での経験から、「ドミニコス入隊」という夢は持たなくなっただろうけれど、
いつか何かの機会に、またあの腕前を披露してほしい。
……とか思いつつ、それってよっぽど緊急事態だから
またグエルくんが危険な目に遭うの!? ダメダメ!! ……な気持ち。
あーあ、せめて2人の共闘が見られたら、この件については成仏できたのに〜。
そういえば、スレッタが最後に言っていた「学校を作る」について。
素人感覚では、学校を建設・運営するのって、
それなりの資金があるか権力があるか、
できればその2つがないと難しいと思うのですが、
スレッタはあの時点で既に実績があるみたいだけれど、
あのへんもなーんかふわっとしてて、よくわからないのですよね。
もしかして、寺子屋とか青空教室とか、それくらいの規模のものなのかな?
だったら、スレッタみたいに高校中退かつ教員免許なし(推測)でも、
「クワゼロの英雄」として特別な権限を与えられて実行した可能性もあるけれど、
また地球でも新たに作ろうとしているのって、どういうことなんだろうねぇ。
スレッタやグエルくんなど、
主人公および主役格の2人に人殺しをさせた上に
その後のフォロー(罪への向き合い方やPTSDへのケアなど)がほとんどない、
というのも私がこの作品に抱いている不満点の1つですが、
こういう、作中での「死」の扱いがどうも軽いのと同じくらい、
「学校」「教育」の扱いが中途半端というか、甘く見ているような感じが、
もやもやしちゃってイヤなんだよなぁ。
第一、スレッタはあの3年間、リハビリだけで精一杯だったと思われるのに、
学校建設に関わるなんて、現実問題として無理じゃないの?
伏線を適当に回収したように思われて、雑だなぁ、という印象しかないよ。
だから、クワゼロ後のスレッタには、
「アスティカシアは一時休学したが、転科して通信で卒業した」とか、
「今は同じく通信で、教員資格取得に向けて勉強中」とか、
「夢をあきらめず、努力している」って姿を見せてもらえた方が、
よっぽど自然だし、説得力もあると思うんだけどなぁ……。
「私はよくばりなんです!」って言ってたんだもん、
そういうのでよかったのになぁ。
うーん、おかしいな、私もうだいぶ成仏できたと思ったのに、
まだまだ全然、ぜーんぜんでしたね。ダメだこりゃ。