【最終回感想・4:スレッタの幸せ&自立】「機動戦士ガンダム 水星の魔女」

 2023/07/12 Wed

水星の魔女

水星の魔女 これを書いている時点では、アニメ誌にて制作サイドから
「世界観や設定をキャラやストーリーに合わせて随時変えていく」(要約)
というスタンスだったことが明かされています。

もともと、それで成り立つ物語なら、あるいは、整合性が最低限守られているなら、
それ自体はダメではないと思いますが、
こういうSF作品で、なおかつ、
ある種の謎解き要素(エアリアルやスレッタの出自など)も含めた物語で、
プロがこういうこと、やっちゃうんですね??
ちょっと、いやー、びっくりしたぁ。

だったら、もう、あの疑問だらけの最終回にいちいちツッコミを入れるのも
意味ないのかなぁ、などと一瞬ちらりと考えましたが、
いや、だとしてもやっぱり、言いたいことは言っておきたい。
最終回放映からだいぶ日が経って、私が思ったことの大半は
他のみなさまがすでにネット上に出力されているけれど、
自分の言葉で、この気持ちを綴っておきたい。

というわけで、気がすむまではこのシリーズ、続けていきますね。
あと3つくらいはネタがあるし。

スレッタの幸せ

さて、今回のテーマは、スレッタちゃんです。
グエスレ推しという自分の中のフィルターを一旦取り下げて、
スレッタ・マーキュリーという少女を単体で見たとしても、
あのラストシーンには絶望しか感じられませんでした。

第1話で、初めて学園に来た時、あんなに目を輝かせて、
ずっと憧れていただろう「学校」への期待に胸を躍らせていた女の子が、
テロなどで学園生活を満足に送れないまま、
生命の危険を冒して1人で奮闘する羽目になり、
3年経っても手足が不自由のままで、顔にも痕が残ってて、
たぶん学園は中退してるし、もうMSも満足に動かせなさそうだし、
車椅子生活になった母親の世話もしていて、……。

(ちなみに私は、リアタイ視聴時はパーメット痕にも気付いていませんでした。
 もう、いろいろ、いっぱいいっぱいだったんだろうな……)

「スレッタ自身があんなに幸せそうに笑ってたんだから、いいじゃない」
「大好きなお母さんと一緒にいられる、それこそが彼女の願いだったんだから」
という見方もわかるし、自分の中にもそういう気持ちが少しはあります。

あと、私個人のヘキとしては、戦士キャラの傷跡とか負傷にはときめくし、
そういうものを勲章だとも思っていたりしています。

でも、あんなにのびのびと軽やかに、エアリアルで空を、宇宙を駆けていた子が、
ささやかなものから大きなものまで、夢と希望に溢れていた子が、
まだハタチそこそこで、自分も身障者になって、なおかつヤングケアラーになって、
しかも、宇宙の方が医療体制が整っていると思われるのに地球の片田舎にいて、
「これが、よりによって、『ガンダム史上初の女性主人公』の幸せ、なの……?」
って、ズガーンと衝撃を受けてしまいました。

まるで、翼をもがれた天使が大地に叩き堕とされ
小さな箱庭に閉じ込められてしまったようだよ(突然のポエム)。

ラストに「目一杯の祝福を君に」ってタイトルがどーんと来て、
あの曲が流れている間も、何か、頭真っ白になっちゃってたなぁ。
あの希望に満ち溢れた曲と、
今、自分の胸に湧き上がっている感情との落差がものすごくて、
気持ち悪さと息苦しさで、大変でした。

あっ、そうそう、あのラストシーン、
自分がマイナスの印象を持った原因の1つに、
2人が座っていた土手(?)も関係していると思います。
両脚とも松葉杖が必要なのに、何であんな傾斜がキツいとこにいるのよ?
ミオリネが腕にくっついて支えてるんだろうけど、あれ、危ないって!
私、「場の恐怖」に弱いタイプだから(高所とか不安定な場所が苦手)、
ちょっと過敏になってるだけかもしれないけどさぁ、
あそこ、せめて、土手の縁(へり、斜面の上端、道路のふちっこ)に
腰掛けてくれてたらまだよかったんだけどねぇ。
絵面的な問題? そうですか……。

さらには、あれ、制作サイドとしては、別に、
踏み絵的な意味合いとか問題提起とかいうつもりは全くないんだろうな、
というのも確信できちゃってさぁ……。
100パーセント、「美しい情景、幸せなラスト」って描いてるだろうな、って。
実際、ネット上では絶賛する声もたくさんあったし。

夕暮れ時の小麦畑(?)、確かに美しいんだけど、
プロスペラはもう、一気に老け込んで、すっかりおばあちゃんみたいになってたし、
スレッタの台詞からすると、意思の疎通ができているかもあやしいし、
おそらく先はそう長くはない。
スレッタも、快復しつつあるみたいだけれど、
キャリバーンで無茶した代償に、寿命を大幅に削ってしまった可能性が高い。
あの若さで、すでに余生とか、終末を感じさせられて、とても辛い。悲しい。

ネット上ではすでに、あちこちで見られた感想だけれど、
あのラストシーンに違和感や嫌悪感を抱くか否かは、
自分もしくは身近な誰かが、療養・静養・介護・看護などの経験をしたかどうか、
あるいはそれにどれだけ関心を持っているかどうか、
という点に大きく左右されていると思う。
あ、毒親問題もそうか。

私の場合は、自分の身に起きた直近の事例として、
3年ほど前に倒れた父のことを思い出していました。
今はそこそこ元気に暮らしていますが、
一時は歩けない状態になって、手も握力が落ちたりして、
退院後も付きっきりでお世話することになる可能性を考えたりしていました。
当時、コロナ禍の真っ只中で、お見舞いも許されず、
代わりにハガキをまめに出したり、それに時々返事をもらったり、
というやりとりをしていましたが、
その時のガタガタな字なんかも思い出されて、
スレッタもそうだったんだろうか、今もそうなんだろうか、
って、勝手に想像巡らせて、涙が出そうになっちゃった。

何であの子が、こんな目に遭わなきゃいけないの?
どうして、1人に背負わせるの?
正直、あのラストバトル(そもそもバトルですらなかった)の流れが
何だかよくわからなかったので、
スレッタがあそこで無茶する必然性がわからない……。
理解力のない視聴者でごめんね……。

あっ、そうそう!
ラストシーンの考察として、
「ミオリネがエリィ(=愛されていた方の娘)を連れ出しているおかげで、
 スレッタ(=愛されていなかった方の娘)は母親を独り占めできるようになった」
というのを見かけて、ヒィッ! ってなりました。
うっわぁぁ! 闇! 闇、深っ!!
そんな、噛めば噛むほど味が出るというか、
「意味がわかると怖い話」「ほんとうは怖いグリム童話」みたいなの、
辛すぎるんですけどー!!
……でも、そういう解釈もおもしろいな、キライじゃないです。

スレッタの自立

スレッタ個人の課題としては、物語の中では、
「親、もしくはそれに代わる者への依存や精神的支配からの脱却」、
もうちょい具体的には
「善悪の判断基準や倫理観を自己の中に確立する」というのが挙げられていました。

だから、「お母さんの選択を私は肯定します」って言った時、
「あれ?」って思っちゃったんだよね。
そこは
「お母さんのことは大好き、でも、お母さんがしていることは間違ってるよ」
とかじゃないの?
全肯定なの? 戻っちゃった? あれー?? って。

「愛すること」とは「その全てを信じて従うこと」ではない、
ということにスレッタが到達するのが自立の第一歩かな、
とずっと思っていたので、何だかちょっと、えええー? ……でしたね。
「復讐ではなく、エリクトの幸せのためにやったこと」だとしても、
そのために大勢を巻き込んでいる点でアウトじゃないの?
「盲信じゃなくて、自分で考えた上で肯定している、
 だからこれまでとは違う、スレッタは成長してる」
って意見をたくさん見たけど、えええー? って感じ……。
あんなにたくさん、人を死なせているのに……?

せめて、母親からは距離を取ることが必要じゃないかと思っていたのですが、
ラストシーン、スレッタとプロスペラはおそらく生活を共にしている様子です。
ていうかそもそも、プロスペラ、何で普通にシャバにおるん?
ヴァナディース事変では被害者だったとしても、
クインハーバーその他の騒乱では、首謀者で実行犯なのに、おかしくない?
(これについては、「最終回感想・5:エルノラ&エリクト」にてまとめました)

他の方の感想などでもちょいちょい見かけたけれど、
ここ、医療刑務所とか特別な施設にいるプロスペラとビデオ通話しているとか、
スレッタがリハビリも兼ねて書いた手紙(メールでもいい)を
プロスペラが読んでいるとか、
そういう表現の方がスレッタの自立と成長を感じられて、安心できたんですが……。
考えれば考えるほど、あの小麦畑のシーン、「見せかけの幸福」っぽくて、
ニセモノ感とかバッドエンド感が強まってきちゃうんだよねぇ……。

成長させてもらえなかった主人公

スレッタって、主人公ではあるものの、
その専用機(エアリアル)と自身の出自については長いこと伏せられていました。
ネット上ではあれこれ考察が出回っていたし、あらかた予想どおりでしたが、
正体がわからないせいで、いまいち感情移入しづらいキャラクターでしたよね。

序盤の頃に限れば、私も半端なタイミングで転校したり、
いじめや嫌がらせをされた経験があるので、
スレッタに昔の自分を重ねたりしていました。
あの声や動きの可愛らしさにもやられて、すぐに大好きになったけれど、
物語がスレッタとエアリアルの謎になかなか迫っていかず、
その満たされない気持ちにグエルくんの魅力がバコッと飛び込んできて、
気付けば「グエルくんがんばれ物語」として視聴するようになっていた、
という経緯があります。

そうそう、スレッタとミオリネは、2人で主人公という扱いなのだと思うけれど、
私はグエルくんも合わせて、3人でヒーロー&ヒロイン要素を分担しているな、
と思って見ていました(個人の解釈です)。
(グエルくんのヒロイン要素?
 美人とかツンデレとか、囚われの姫役とか、お色直しの多さとか……)

ただ、そのせいで、ぶっちゃけグエルくんに、
主人公としての活躍や成長の機会を奪われてしまった気もしています。
グエルくんのこと、私も大好きなので、これは全然、恨み節とかではないけれど、
彼のたどった道筋やMS戦に比べると、スレッタ、ちょっと影薄いな、って思っちゃう。
彼の場合は、その身に何が起きて、何を得て何を失ったのか、何を考えたのか、
というのがわかりやすく示されていたと思うのですが、
第2シーズンのスレッタ、周りからの見守りや刺激もあったものの、
何か自力で立ち直っちゃったな、という印象で、ぼんやりしているんだよね。

危険な目に遭ったり、困難に立ち向かわざるを得なくなるのを
けっこうな割合でグエルくんが肩代わりしてくれたおかげで、
物語の中心のはずが蚊帳の外、という立ち位置にスレッタがずっと置かれていて、
最後の最後で、存在感の補強をするために、
「スレッタがキャリバーンに乗って無茶をするしかない」って状況を
無理やり作り出されて、印象を強めるために後遺症までつけさせた、のかな。
ものすごくひねくれた見方ですが、そう思ってしまう自分がいます。
女性主人公ということで、おかしな塩梅で気を遣われたような、
そんな違和感。

それに、ミオリネもグエルくんも、
結局は「家」に縛られたままのようなラストだったので、
メインキャラの1人ぐらいは、きっぱりと「親と訣別する子」の姿を
見せてほしかったなぁ。
それを、親を愛して、それでも愛されなかった子の一例として、
スレッタが担ってもよかったのでは?
それは別に、スレッタの優しさや母性と相反するものではないはずだから。
(ちなみに私は、プロスペラからスレッタへは「愛はなかった」派、です)

前に「最終回感想・3:指輪」で書いたような、
エピローグ内の指輪の描写(描き忘れ(?)&色ミス(?))については、
Blu-ray収録時にしれっと修正されそうな気もしているのですが、
もしも手直しされるのなら、ついでに土手のシーンで、
スレッタの松葉杖もしれっと消しといてもらえないかなぁ。
あれがあるかないかだけでも、だいぶ印象が変わるんだけどなぁ。無理かな。

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最終回の感想をあれこれ書いてきて、 自分がリアタイ直後に感じたあの衝撃が、 「期待をほぼ裏切られたこと」以上に「不完全燃焼の大洪水」に由来する、 ということがわかってきました。 そこに辿り着いただけでも、こうしてアウトプットすることには意義があったなぁ。

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