こんな年の瀬に、我が家にもう一通、喪中はがきが届きました。
母の実母で、私の実の祖母にあたる方が、今月10日に亡くなったそうです。
私の母の生い立ちはちょっと複雑です。
母の実父は、母が生まれたすぐ後に病気で亡くなりました。
それからしばらくして、その弟(私の大叔父)が
母の実母と再婚する話が進みかけたのですが、
自身が5歳上ということを気にして身を引いたのだとか。
(今の感覚では、5つ程度の年の差の姉さん女房なんて
別に珍しくもないし、いいじゃないかと思ってしまいますが、
まぁ、昭和20年代のことだからなぁ……)
その後、母を連れて婚家を出てお見合い再婚をすることになったのですが、
土壇場になって、再婚先のご両親から子連れなのを反対されて
母を婚家に預けていくことになったらしい。
母は、父方の実家の初孫でもあったし
早くに亡くなった長男の忘れ形見ということで
周りの大人たちには、そりゃあもう可愛がられたそうですが(本人談)、
いろいろと悩むこともあったのではないか、と想像しています。
そして、母の実母と再婚するはずだった大叔父は、後に母を養女として身元を引き取り、
私や姉の、母方の祖父として、可愛がってくれました。
そして、今年の金環日食の日の早朝に、ひとりで静かに旅立っていきました。
この祖父は、母の実母であり自身の義姉だった人のことを好きだったそうです。
再婚するつもりだったくらいだから、まぁ、そうだろうけれど。
年をとってからも、自分がどんどん体調を崩していっても、
母には時々、「S子さん(=母の実母)は元気か?」と聞いていたらしいです。
この「3人目のおばあちゃん」は
「タマコシ」という小さなショッピングモールのすぐ近くに住んでいたので
我が家での通称は「タマコシのおばあちゃん」でした。
また、私たち一家が名古屋に越してくる前は
同じ市内に住んでいたこともあって、それなりに交流もありました。
ただ、お互いに事情が複雑なこともあって次第に疎遠になり、
母自身も、直接話したのは数年前の電話が最後だったと言っていました。
その時の様子では、ちょーっと認知症の症状が出てきているのかな、
という印象だったそうですが……。
もしかしたら、こちらに知らされていなかっただけで、
長い間入院したり、していたのかなぁ。
もしかしたら、一足先に旅立った祖父が
寂しがって会いに来て、そのまま連れて行ったのかな、
なんて思っちゃったりして……。
まぁ、そんな想像はともかく
(「お迎えに来たのかもね」とは、母自身も言っていましたが)、
母にとっての2012年は
養父が亡くなり、初孫が誕生し、実母が亡くなるという
人生の節目てんこ盛りな1年になってしまいました。
悲喜こもごもであることだよなぁ。