祖父のお葬式

 2012/05/23 Wed

家族

六つ割源氏車 5/22分(お通夜編)に引き続き、
祖父のお葬式&繰り上げ初七日についての思い出しメモです。

おっさま(菩提寺の和尚様)や火葬場の都合で、葬儀は午後から執り行われました。
午前中は大してやることがないので、
控え室でお茶を飲みつつ、今後の法事のスケジュールなどの打ち合わせ。
あ、そうそう、控え室には大きな窓があったのですが
それが20cmくらいしか開かない仕様になっていて、
何でだろうと思っていたのですよね。
「後追い防止だよ、衝動的に飛び降りる人がいるかもしれないから」
と教えられて、な、なるほどー!

この2日間は、うち以外には利用する方がいなくて
貸し切り状態でのびのびとできて、ちょっとラッキーでした。
控え室や会場などを、自由に行き来できて、
みんなそれぞれ好きに過ごしていたようです。
会場ではヒーリング系(?)の音楽が流れていたのですが、
劇的ビフォーアフターの、アフターの時のあの曲(曲名何ていうんだろ)が
ちょくちょくかかっていて
その度に誰かが即興であのナレーションの真似をするので、
もう、おかしくておかしくて。みんな、うますぎるよ!
何ということでしょう!

みんなで集まって、少し早めのお昼ごはん(精進料理のお弁当)を食べていた時、
「このメンバーで集まってるのに静かなのが、変な感じ」
と従兄弟がつぶやいて、その言葉に叔母がちょっと泣いていました。
こんな時はいつも、祖父のだみ声が響き渡るのが普通だったからねぇ。
みんなでしみじみ、しんみりしていました。
祖父が亡くなったとわかった直後から
母たちはばたばたと準備を進めてきたわけですが、
これまでしょっちゅう祖父からケータイで呼び出されていた叔母は
ちょっとした合間に祖父からの着信をチェックする習慣が抜けきらなくて、
「パパもう死んでるんじゃん!」と、その度にはっとしていたらしいです。

正午を過ぎた頃から、残りの親戚もそろい始めました。
祖父母のご近所の方々も、
今日はそれほどいらっしゃらないだろうと思っていたけれど
昨日のお通夜の半分くらいの方が来て下さって、
自宅からあまり近くはないのに、ありがたいことだなぁと思いました。

葬儀が始まって、おっさまと2代目(息子さん)が入場。
昨日のお通夜ではおっさまだけがお経を読み上げて下さったのですが、
葬儀では2人がかりで、ええと……斉唱? 重唱? していました。
この2代目が、いい声してたんですよ〜!
普段、生でお経を聞く機会がほとんどないので
単純に、若さ(40は過ぎているそうですが)の違いかなぁ、
声量とかハリの違いかなぁ、と思っていたのですが、
法事に慣れた他の大人たちもみんな、葬儀のあとで大絶賛していました。

祖母によると、この2代目は、数年前から法事や何かで
祖父母宅にもお経を上げに度々おいで頂いているそうですが、
初対面の時にピアスをしていて、祖父は絶句していたそうです。
が、いいお声なので、その後は特に何も言わずにお願いしていたとか。
祖母は「最初にうち来た時、鼻にもピアスしとったよ」と言っていましたが、
ほんとうなんだろうか。どうなんだろう。
そりゃあ、おじいちゃんもびっくりだろうなぁ。

まぁ、それはともかく、お経が一旦終わって引導の儀式(?)が始まった頃
(松明を模した道具とかをぐるぐる回したりするやつ)、
叔父のケータイが鳴り響くというハプニングが発生。
少し慌てて、そのまま会場を飛び出して行ってしまいました。
あれだけ司会の方が電源切れって言ってたのに、
ていうか、そろそろお焼香なのに、喪主がなかなか戻ってこなくて、
どーすんの! というハラハラした空気に包まれる会場。
叔母は肩を震わせて笑いを堪えているし……。

このへんも、あとで聞いた話ですが、
叔父は最近ケータイをスマホに変えたばかりだったらしいのですよね。
で、まだ扱い慣れていなくて、昨日も他のみんなに教えてもらいながら
試しにアラームの設定を練習していたらしい。
それがそのまま残っていて、鳴ってしまったみたいです。
式の直前に電話がかかってきて、そのあとにマナーモードに切り替えたから、
これでオッケー! と思っていたけれど、
マナーモードでもアラームは優先されちゃったみたいで。あらまぁ。
アラームの止め方がわからなくて、控え室に投げ込んで帰ってきたらしい。
お焼香にはぎりぎり間に合って、よかったよかった。
喪主のごあいさつの時にも、ちゃんと自分のが鳴ったことをお詫びしつつ、
「父から最後に雷を落とされたような気分です」
とうまいことまとめたので、親族一同ではちょっと笑いが起きました。ぷ。

火葬場では、もう、棺の蓋を開けることはないとのことで、
会場で最後のお別れをしました。
祭壇に飾ってあったお花や林檎を、みんなで少しずつ入れていきました。
足元に林檎を詰めている時に気付いたけれど、
棺がジャストサイズというのか、ぎりぎりまで足があって、お、と思いました。
祖父はあの年代(享年83歳)にしては背が高くて、180cm近くはあったのですよね。
母によると、祖父の兄弟はみんな、それくらいあったらしいです。
祖父の母(私の曾祖母)が新潟の米どころの出身で
戦争中もお米はたくさん仕送りをしてもらえたとかで、
食うに困るようなことはほとんどなかった、と聞いています。
やっぱり、成長期にしっかり食べていた人たちは、すくすくと育つものなんだろうか。
そんな祖父なので、棺に入れるときもちょっと大変で、
普通は足を自然に伸ばす(寝かす?)けれど
頭の方に余裕を持たせるために、足はカクッと、立っているときのように曲げさせて
何とかきれいに収めたらしいです。そうだったのか〜。

棺には、叔母が以前プレゼントした、お気に入りの帽子なんかも入れられました。
長年愛用していた眼鏡も、最初は一緒に焼いてもらうつもりだったけれど、
お骨にくっついてしまうと聞いて、祖母が形見に持つことになりました。
正直なところ、悲しい・淋しいという気持ちはあまり強く出ていなくて、
冷静に事態を観察していたり、見慣れない小道具その他にこっそり興味津々だったり、
祖母の今後の生活が心配だったり、
生い立ちがちょっと複雑だった母の気持ちを想像したり
(祖父は、血縁的には母の叔父にあたる人で、養父なのです)、
自分が死んだ時のことをちらっと考えてみたり、していました。

出棺の際には、
叔父が位牌を、祖母は遺影を、
従兄弟たちが大小の骨箱で、私は骨箸、という割り振りでした。

火葬場では、2代目が最後にお経を読み上げて下さいました。
その後、控え室で1時間半ほど待機。
その間に、就職活動中の従姉妹に、
某社の筆記試験が受かったとのメールが来たそうで、
「おじいちゃんのおかげかもねぇ」と話していました。
館内放送で、焼き上がったとの知らせがあって
(? 何ていうだろう、こういう時って。これじゃパンとかお菓子みたいだ)、
みんなでぞろぞろ移動したのですが、
うっかり祖父の遺影を置いてけぼりにするところでした。オーイ!
私も、祖母が鞄を忘れて行ったことには気付いて、持って出たけれど、
そのすぐ脇のおじいちゃんのことは思いっきりスルーしてしまいました。
だって、床の間になじみすぎてて、目に入らなかったんだよー。ごめん!

今回、初めて焼き立てほやほやのお骨を見ましたが、
祖父のお骨は真っ白で丸々と太くて、立派でした。
たいていは、80を過ぎると骨なんて脆くなってしまって
焼いても形なんて残っていない、と聞いていたのですが、
見るからに頑丈そうな大きなお骨がごろごろと……。
頭蓋骨も、半分くらいは形が残った状態で出てきましたよ。
係の方が、大きなものを砕いて小分けにしながら
主だったお骨にいろいろと説明をして下さって、それもちょっとおもしろかったです。
「鼻の高いお方でしたから、鼻筋が通ってらっしゃいますね」とか。
骨格になっても、いろいろバレバレだよね〜(父方に似た団子鼻をさわりつつ)。
下顎の骨が、まるっときれいに残っていたのが印象的でした。
「いちばんよく動いてた骨だから、さすがに丈夫なんだわ」とは叔母の弁。

係の方がピックアップした主なお骨を運んで、炉の前から少し移動して、
骨上げの儀式をしました。
足元の骨から頭の方という順番で
2人ずつ向かい合ってお骨を骨箱に収めるという、あれです。
私は従兄弟と組んで、大腿骨(の欠片)と、膝のとこと、骨盤(の欠片)を収めました。
2人で箸で掴むのって、けっこう難しいのですね。
途中で落としてしまいそうで、緊張しました。

お骨は、焼いて残ったものは全て骨箱に入れるのかと思っていたら、
このへん(東海エリア?)はそうではないのですね。
母に聞いたら、残りは火葬場の方で片付けてしまうらしい。
へええ、そうなんだ〜。
ちなみに、東京の方では、拾えるものは全部拾う、って。
焼き上げるのも、高火力で1時間くらいのスピード処理、って。
それくらいのペースでないと、
あっちは人が多いから、さばききれないってことなのかなぁ。

火葬場から会場に戻る時は、来た時とは少し道を変えるようにと言われました。
あー、これ、前にもどこかで聞いたことがあるなぁ、
故人を撒く、ってことだよね。ついてきちゃわないように。

会場に戻ってしばらくしてから、繰り上げ初七日の法要を行いました。
ここでも、2代目のよく響くお経に聞き惚れていました。
これからの法要が、ちょっと楽しみだなぁ、なんて。
姉はこの先しばらくは、こういう席に出られないと思うので、
その分、私は主だったものには出ようと思っています。
とりあえず、次の大きな法事は四十九日なのですが、
これ、甥っ子誕生予定日の翌日なんだよなぁ。
もし、母が姉の付き添いで出られなくても、私と父で、代表して出る予定。

帰りに、駅まで叔母に車で送ってもらいながら、
ずっと昔の話や最近の祖父とのことなんかを聞きました。
ほんの数日前まで、確かに生きていた人が、
死んで骨になってしまったことが、何だか不思議な気持ち。
昨年のお盆の前までは、自転車に乗るほど元気だったのに。
ちょっとの坂道も上がれなくなって、転ぶようになって、
お盆を過ぎてから風邪をこじらせて肺炎で入院して、
それから退院したり、検査に行ったり、少しずつ悪くなって。
もう、いい年だし、あちこちガタが来るのは仕方ないとしても、
声だけは元気だったので、みんな、長期戦の構えで
亡くなる前日にも、叔母夫婦が、とある施設を見学して
「ここがいい!」と決めたりしていたのに。
うちの母も、ここ数年は自身の怪我や体調不良が続いたので、
「もしお母さんが先に倒れても、おじいちゃんがお葬式の面倒見てくれると思う」
と半分本気で話していたのですが、きちんと順番を守って逝ってしまいました。

さて、亡くなった人の供養も大事ですが、
私はまだ生きている人のことの方が、もっと大事で、心配です。
すっかり年季が入って、あちこち洒落にならないくらい危険な
祖父母のあの古い家を、どうにかしないと。
祖母の安全と健康が、今後の最優先事項です。
私も、片付けとか掃除とか、人手がいる時には行ってこよう。

というわけで、長い長い思い出しメモはおしまいです。
ここまで読んで下さって、ありがとうございました!

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