祖父のお通夜(5/22)も葬儀(5/23)も無事に終了しました。
この文章を打ち込んでいる現在は少し日も経って落ち着いてきたので、
自分のためにもちょこちょこと
この2日間や祖父のことを思い出しながら書き留めておこうと思います。
こういう出来事なのに不謹慎と思われるかもしれないし
段取りその他でそれなりに揉めている(現在進行形)らしいことも
母から聞かされて知っているけれど、
それでも、私にとってはいいお式でした。
みんなで笑ってしまう場面も、時々ありました。
あ、でも、反省もあるんだった。
10年以上前に親が選んでくれた喪服と葬祭用のハンドバッグ&パンプスを
今回初めて着用したわけですが、
喪服(ワンピース&ボレロ)のしつけ糸が付けっぱなしでした。
火葬場を出て車に乗り込んだ時に気が付きました。ギャオス!
いやー、お通夜の時から、歩きにくい服だなぁ、とは思っていたのですよ、
足が広がらなくて、しず……しず……としか歩けないなぁ、って。
でも、喪服だからそういうもんなのかな、って……。
普段の私がドスドスと元気に歩きすぎなのかなぁ、って……。
それに、しつけって、普通は目立つ色でかがってありますよね?
黒地に黒い糸で止めてあっても、気付かないよねウワアアン!
もうほんと、おじいちゃん、ごめん!
火葬場から会場に戻った時に、受付で鋏をお借りして処理しましたが、
もともとかなりタイトなスカートだったようで、
結局は歩き方も、しず……しず……、が
しず…しず…しず…しず…、くらいにしか変わらなかったです。
弔事であってもしゃきしゃき歩きたいのですが、だめなんだろうか。
ちなみに、上の画像はうちの母方の実家の家紋です。
名称は、ネットでさっき調べてみた限りでは
「六本源氏車」というものの方がメジャーっぽい?
会場入り口の家紋入りの提灯や祭壇を
叔父叔母や従兄弟たちに混ざってパシャパシャ撮ってもよかったのですが、
何となくためらわれて、チャンスを逃してしまいました。
いつか母がケータイを持つ日が来れば
この日の画像を御守り代わりにあげることもできたかもなぁ、
と思ったのですが、その時は叔母が送ってくれそうだから、まぁ、いいか。
よし、次に俺屍をやる時は、イメージ家紋はこれにしよう。
せっかくデータ作ったんだし(貧乏性)。
さて、この日は、午前中は仕事をして、
午後に帰宅してお昼を食べてから母と一緒に会場へ出発する予定でした。
が、帰宅してみると母がいない。
買い物に出たのかと思ったけれど
机の上に、会場への行き方や叔母たちの連絡先のメモが
なぜか2セット置いてあって、
他にも何となく、母が慌てふためいて出て行った形跡があったので
(上記のメモに関しても、普段だったら例えば
「お母さん先に行ってるね!」とか一言添えてあるはず)、
「おじいちゃん、また急に具合が悪くなったのかな」と一瞬ちらっと考えて、
「あ、おじいちゃん、もう死んだんだった」と思い直したり。
「ひとりで来い、ってことだよね?」と母に一応確認したかったけれど、
ケータイを持っていない母と連絡をとるには
叔父か叔母、もしくは祖母に電話しなきゃならなくて、
それだと何だか大袈裟になってちょっと恥ずかしいので
とりあえずひとりで向かいました。
そうそう、うちの姉はみんなの厚意に甘えさせてもらって欠席したのでした。
身重だし、初産だし、無理しなくていいよ、って。
本人は参列したがっていたのですが。
姉は、結婚式の晴れ姿を両親に見てもらえなかったし
(父の胃ガンが見つかって、手術&入院のために両親が欠席)、
今回の件についても、ちょっと可哀想だなぁ。
誰が悪いという話でもないけれど、タイミングの問題というか。
私も、母からは、仕事が忙しいならお葬式だけで、と言われましたが
姉の分まで祖父をきちんと送り出したいと思ったので、
お通夜から泊まり込みをして葬儀に出ることにしました。
会場の控え室に着くと、もう親戚はほとんど勢揃いしていました。
会うのが久しぶりすぎて、
従兄弟たちにも、何て声をかけたらいいのか戸惑ってしまったり。
ひとまわり以上も年が離れているので、
母経由で写真を見てその成長ぶりは知っていたものの
あの小さかった**くんがこんなに大きく! とか、
**くんもすっかりオトコになっちゃって! とか、
おばちゃんも時の流れを実感しましたよ。ほええ〜。
向こうは私のこと忘れてるだろうな、と思っていたら、
小さい頃にちょこちょこ面倒を見ていたことを覚えていてくれたみたいで、
あらあら、まぁまぁ!
いやー、むしろ遊んでもらったのはこっちなのにね!
この時は、まだ祖父は控え室で一緒だったので
挨拶をさせてもらいました。
記憶にあるよりもやせた顔でしたが、お化粧もしてもらえたようで、きれいでした。
私が今までに参列した記憶があるのは、
小6の時に続けて亡くなった父方の祖父母のお通夜&葬儀と、
中学生の時に亡くなった大叔父のお通夜と、
以前の職場で、同僚(学生時代の友人)のお父様が亡くなった時のお通夜で、
いろいろ、いちいち、新鮮で興味深いところもたくさんで
こんな時だけれど、「おおー」と楽しんでしまう部分も多かったです。
今回はいちばんシンプルな家族葬でお願いしたそうですが、
祭壇も、こぢんまりときれいにまとまっていて、落ち着く感じでした。
お通夜には、遠方の親戚も駆けつけてきたし、
祖父母宅のご近所の方々も、ご高齢の方ばかりなのに、たくさん来て下さいました。
祖父は、お客さんが来た時に玄関先で立ち話をさせるのを嫌って
どんなに些細な用事でも、家の中へ上げてお茶も出すようにしていたそうです。
祖父が少しずつ具合が悪くなって
祖母は自身の食事の支度に手が回らなくなってきたそうですが、
ご近所さんがちょくちょくおかずの差し入れをしてくれて
とても助かったと言っていました。
祖父は、身体が少しずつ不自由になっていっても口だけは達者で、
祖母やうちの母たちがあれこれ世話をしていても
文句をいうは怒鳴りつけるは痛いだの下手だの大騒ぎするは、で
とにかくいつもうるさくて口やかましかったらしいです。
夜中にも何度も祖母を呼んで大騒ぎするので
祖母はこのところずっと導眠剤を使っていたそうですが、
亡くなる日の前夜だけは妙に静かで、薬もなしにぐっすり眠れたとかで。
そして、翌朝早くにいつもどおり祖父の足をマッサージしていて
「今日はいやにおとなしいな」と思って、はっとして、
その時やっと亡くなっていることに気付いたそうで。
金環日食の日の早朝、うちへ叔父からかかってきた電話の第一報は
「パパ(=祖父)が救急車で運ばれたらしい」だったのですが、
それから5分くらいして「もう死んでたらしい」とかかってきたのでした。
検察医の調べでは、早朝の3時頃に息を引き取ったらしいとのこと。
苦しむことなく旅立ったらしいので、その点についてはよかったなぁ、と思います。
口やかましくて心配性で、祖母たちは閉口することも多かったみたいだけれど、
ひとりで静かに逝ってしまったのだなぁ。
「最後にそうやって帳尻を合わせていったんだねぇ」って、
親戚は泣き笑いしていました。
そんなこんなで、思い出しメモ・お葬式編に続きます〜。